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やってみた。5、 エネルギーの注ぎ先を決める

人づきあいが、大切な人たちに限られてくると、エネルギーが湧いて元気になる。それが体感できる。自分のエネルギーをどこに注ぐかは、とても大事なこと。
以前は、エネルギーの使い方など全く意識せず、ダダ漏れだった。
だから突然エネルギーが湧かなくなることもあった。ガソリン切れした車のように。
ギフトセッションをしていても、エネルギーを消耗することがごくたまにあった。
消耗するとその場から動けなくなり、ジャンクフードが食べたくなる。
カロリーの高い物でエネルギー補給したくなる。それほど消耗しているようだ。
元彼と別れる前、もめた時もヘトヘトに消耗してしまい、お正月を迎えるために飾っていたチューリップが全てうなだれてしまった。
買ってきたばかりでたっぷりのお水に挿したばかりだったのに、花瓶の水は空っぽになっていた。
植物や動物は負のエネルギーを代わりに吸ってくれるというが、まさにその通りの事が起こった。
エネルギーは目には見えないけれど、結果は目に見えて現れる。
人の第一印象も「この人感じイイ」とか「真面目そう」などは相手のエネルギーそのもの。
また、動植物や物質も全てエネルギーを発している。
桜が満開でも写真を撮りたくなる桜と撮らない桜がある。それは発するエネルギーの違い。
思い切り咲いている桜、つまりエネルギーをたくさん発している桜に人は集まる。
バラにずっと褒め言葉をかけると3代目くらいからトゲのないバラが咲くらしい。
野菜や果物も太陽や土からのエネルギーを受けて、そのエネルギーを私たちはいただいている。
映画も創り手の想いがそのまま映像に現れる。それがヒット作につながる。
私たちは桜という植物や、映画という作品を通じて、そのもののエネルギーを受けている。
裸足で草や海に入って気持ちがいいのは、大地のエネルギーを受けているから。
私たちはその人のエネルギーの影響を受けている。
だからこそ、自分はどんなエネルギーを出し、注ぐか。
自分の中を整え、穏やかでいれば癒しのエネルギーが出るし、楽しいことをしていればワクワクのエネルギーが出る。感謝や愛のエネルギーは宇宙との周波数が一致するので願いがどんどん叶う。
湧き出て枯渇しないところに大事に使う必要がある。

今まではとにかくたくさんのことにエネルギーを注いでいたし、人のエネルギーも奪っていた。自分が人のエネルギーを奪っていると気づいたときは愕然とした。例えば自分が賞賛されたいときにはエゴなので、相手のエネルギーを奪っている。それに気づくことが大事で、気づくとやめられる。
それをハッキリと注ぎたいところだけに注ぐことにした。
そうすると、後悔や他責がない。
相手に何かを期待してエネルギーを注ぐことをしないので、どんな結果になろうとも何とも思わない。
仕事は真剣にエネルギーを注ぐけれど、相手が変容するかどうかは相手に委ねる。
変容したらよかったと思い嬉しいけれど、変容しなくてもなんとも思わない。
ドライに見えるかもしれないけれど、それぞれには変容のタイミングがあるし、私自身のエネルギーを大事にしたいと思っている。
だからコントロールしない。
自分自身が発するエネルギーも、人に良いエネルギーを提供したい。
そのためにしっかり食べてよく寝て散歩とヨガと瞑想で太陽からのエネルギーを受け、やりたいことだけやり、健全でいる。
自分を常に整え、スペースを空けておく。
全ては連動するから。

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