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やってみた。4、 自分と大切な人を大切にする

自分を大切にする。
この文字だけ見るとこんな風に誤解されやすいし、実際に私も以前はそう思っていた。
・自分のワガママを通すこと
・自分を都合の良いときだけ大切にしそう
・ナルシストか
・自己中か
など。
自分を大切にするとは、自分に正直になること。
あるがままの自分を知り、全て受け入れること。
自分に「正直」になるということも奥深い。
自分の正直さってなんだ?って思ったり。
でもあれこれ問うよりも結局これらをやってみた。
・本当は気が乗らないお誘いを断ってみた
・自分の時間が消費する依頼を断ってみた
・自分の思ったこと、感じたこと、やりたいことを嫌われるのを覚悟して言ってみた
・自分の違和感をスルーせずに見てみた
・人から言われたネガティブワードを受け取ることをやめてみた
・人の問題を自分の問題かのように引き受けることもやめてみた
・頼まれてもいないお節介をやめてみた
つまり、自分の気持ちや考えを尊重し、その言動に対して責任を持てればいいのかなと。とても自由だ。
次は、大切な人を大切にする。
これはわかりやすいと思うけど、意外とできていない場合が多々ある。
まず自分の大切な人はだれか?大切の定義は?とか。
誰に自分の人生に関わってもらうのか。ということ。
結局、
自分のエネルギーを何に注ぐのか。ということに尽きる。(これは次回のテーマなのでそのときに。)
人づきあいが多いと、大切な人への時間が減る。
それよりも大切な人に時間を割きたいと思った。
恋愛は自分を大切にしながら相手も大切にできるかどうかが鍵なので、とてもいい題材かも。
結局、自分と相手を大切にしていないとケンカになるか、我慢してしまうか、別れてしまうのではないかと思う。
このテーマは「やめてみた。10.条件付きの愛」辺りで詳細に。
大切な人を大切にする、について私より先に、たまとも娘のさきはやっていてそれを私は見習った。

さきと金沢旅行に行ったとき。
さきがセレクトしてくれた手巻き寿司屋さんに言ったときのこと。(タイトルの画像)
おしゃれでインスタ映えする手巻き寿司が運ばれてきた時、店員はそのお寿司を下駄箱の上に置いた。ブーツが置いてあるすぐ横に。
それを見て、がっかりした。
お店を出てさきに「どうだった?」と聞かれ、イマイチだった感想と理由を伝えた。
そこでさきは「私は二人で食事がしたかっただけだから、お店は気にならない。嫌だったならお店を変えればよかったね」と言われた。
せっかくセレクトしてくれたお店の不満に意識が向き、一緒に食事をしていることに集中していなかった。
さきは大切な時間を過ごしてくれているのに。と反省した。そこで大切な人を大切にすることを学んだ。

専業主婦を選んだ理由は、大切な人であるさきとの時間をたくさん過ごし、成長をずっと側で見たかったから。
こんな大事な機会があるのに、仕事をしてる場合じゃないと思った。笑
今でも歩き出した瞬間の光景は目に焼き付いている。
一生に一度だけのこの感動の瞬間を見られて良かったと心から思う。
きっと生涯忘れない思い出。
それから一緒にいられる時間が減ったけど、大人になってからまた一緒に過ごすことができている。
私の至福時間の一つ。大切な人を大切にする一つ。

しかし、つい先日、自分と大切な人を大切にすることの大事さを改めて実感する出来事が起こった。

ギフトを見つけ、生きる方法がテーマの商業出版依頼がきた。
私はその企画案に違和感を持った。
ギフトで生きることは方法論ではないし、簡単でもない。だからこその出版依頼なのかもしれないが。
出版社のテイストも実践的なビジネス書が多く、イメージではない。
もちろん、企画案の段階なので変更は可能だと言われていたけれど、そもそもこのような形で本を出したいか?とか
私の動かず動じずから巡るエネルギーにしては自分の中心から外れることになるのではないか。など。
でも、誰もがギフトで生きる世界を創りたいと思っているので、その手段の一つになるのでは?と思い、正式に週明け返事をするために、もし出版するならどんな内容を書きたいか?をさきと一緒に整理をしてもらった。
整理はできたけど、二人とも疲れた。
すでにこの時点で、エネルギーが湧くというより、消耗する感覚だった。
自分の中の小さな違和感をそのままにして、さきに補ってもらおうとした。
それが思い通りにならず、その不満をさきにぶつけてしまい、さきを傷つけてしまった。
そこで改めて決めた。
大切な人を大切にできないことはしない。
そしてそれは同時に自分を大切にしていないことでもある。
そもそも、自分の違和感をスルーして、自分を大切にしていなかったことから始まっている。
出版の話は今回も結局お断りをした。

セルフコンパッション(あるがままの自分を受け入れる)が巷で流行っていたが、自分に慈悲慈愛を、というが
自分を大切にするイメージは、それに加えてもう少しタフなイメージがある。
自分に正直になると、付き合いが悪いとかあまり良い印象を持たれない場合もある。疎遠になることもある。
それも含めて受け入れていくことになる。
誰もがそれを受け入れがたいので、相手に合わせてしまう。
これはまた別途自分を受け入れるための考え方がある。
簡単に言えば、最悪のシナリオも想定し受け入れる。
執着だと気づき手放すとか。このあたりも別の機会に。
実際に、「〇〇を宣伝して欲しい」「〇〇を広めて欲しい」「〇〇を紹介して欲しい」といった依頼は多々あった。
それを一つずつ、丁寧に言葉を選びながら自分のポリシーを伝えていくことは労力を要した。
好きな人たちからの依頼であったけれど、私は自分を大切にした。
ある依頼をしてきた人に、説明を尽くしてお断りした結果「何も考えず、軽い気持ちで依頼してしまっていた。そんな自分が恥ずかしい。私もAmyのように、自分と大切な人にエネルギーを注ぎます。」と返事がきた。
自分が何を大切にして、どのようなスタンスで生きるかが、人への影響へ波及していく。
そして誰が大切な人かもハッキリわかる。
エネルギーの注ぎ先が明確になる。
大切な人が困ったらいつでも助けられるように自分のスペースを空けておく。
スペースが空いているからといって何でも入れようとはしない。
それが自分を大切にする。大切な人を大切に生きる。ということ。


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