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「父の生きた時代」を想う 3

その1はこちらから

昭和の自営業
昭和の時代、印刷業というのは”机一つ”で始められ、今のようにどの会社にもコピー機が設置されていないころは、どんな業種でも事業の一環として必要とするサービスで(それは今も同じかも)、だから東京都のようなところにはたくさんあり、東京都の産業の一つに”印刷業”が挙げられていたのを社会科で習ったような記憶がある。紙の問屋、印刷工場、写植屋さん、そして手順やそれぞれの納期などの知見があれば、顧客から相談をうけ、印刷物の内容や予算に合わせた企画を作り、版下の見本を作り、写植を発注(当時は写植という日本語の大量の活字を選んでタイプする、ものすごい機械があった)紙を選んで工場に発注、完成品を納めるというビジネスができる。簡単にWordで原稿を作ったり、コピーを撮ったりできない時代のほうがきっとニーズはあったと思う。

広告、封筒、名刺、ちょっとした会誌・・・今ならみな自分で作ってしまうようなものだ。だんだんビジネスが大きくなると、工場を自分で持ちたくなり、デザイナーも置くようになる。ビジネス仲間ができて行って、父のゴルフ仲間は小さな出版社を営んでいた。またオフィスの一角に、その写植機がやってきた。写植専用とする会社を営んでいた知人が、会社を倒産させてしまったので、父の会社に来てもらったのだと後で知った。70年代は全体的には高度経済成長の頃だったが、下町の景気には浮き沈みがあった。金利は高く、銀行は連帯保証人を要求した。そのため自分も連帯保証人になってもらいたければ、他人にもならなければならない。そして一社倒産すると連鎖倒産が発生した。

母はよく土曜日の午前中(だったと思う)で銀行が閉まると、ほっとして「これでまた週を越せる」とつぶやいていた。突然小切手が不渡にならないか常に心配をしていた。自営業の経理を司る母は几帳面で「私の机の前に座れば誰でも今の会社の状況がわかるようになっている」と言っていた。何かあった時、例えば事故でも、取引先に迷惑をかけられないと思っていたからだろう。(会社でも家でも私の机の前に誰が座っても何がどうなっているかわからないだろう、本人ですらだ)今でも同じだとは思うが、昭和の経営者はさまざまな事情から常に気を張り詰めなければならなかった。
その分休日は仕事仲間で集まり、ゴルフや麻雀が行われた。正月には社員も取引先も家族連れで狭い家に客が押し寄せた。しかし時々、連日両親の帰宅が遅いなと思っているある朝、「XXちゃんのお父さんの会社を閉めることにしたの。関西の方に行くらしい。もう会えないから」と母に言われることがあった。俗に言う、夜逃げだ。

1980年代に入ると後半は平成バブルで知られているが前半は苦しい時代だった。甘栗の袋を印刷していた時期があったが、袋を閉じるリリアンの紐を袋に縫い付ける作業も請け負っていたため、その内職を近所の人にも声をかけてやっていた。ある年末に、正月用の大量納品が間に合わず「友達も呼んできて!」と言われ家族・学校の友達総出で手伝った納品物を大晦日の夜車で届けに行った思い出がある。サンシャイン60がビルの窓を使って(部屋の電気をつけたり消したりして)「サヨナラXX(→昭和か西暦の下2数字)」と表していた。しかしその代金は入金されることはなかった。
ある日父たちが深刻な顔をしていた。一人会社を倒産させた仕事仲間が逃げたのだ。関係者で集まって、分担して彼らの子供の学校や、出没しそうなところを見張ったが見つけることができなかった。毎日、毎日両親の帰宅は深夜になった。ある夜中、大きな地震で飛び起きた。帰ってきたばかりの母が飛んできて「大丈夫よ。少し前に帰ってこられてよかった」と微笑んだ。その表情は見たことがないほど綺麗でドキッとした。(母は美人ではなかった)
翌朝「座りなさい」と言われ、「お父さんと相談したのだけど会社を倒産させることにしました。これ以上周りにご迷惑をかけないために」

債権者会議が行われ、その頃聞いていた他の会社の倒産とは異なり、自宅は接収されなかった。両親は最初仕事仲間だった小さな出版社に身を寄せ、そこで”印刷部門”となった。両親は1日も休まず働き続けることができた。また工場では「会社は倒産した、もう給料はもらえない」と言いにきた常務の声を無視し、職人さんたちが「まだ注文された印刷物ができていませんから」と身銭をきって紙とインクを購入し仕事を続けたそうだ。のちに工場はそのまま同業者に買われ、そのまま職人さんたちも仕事を続けられたと聞いた。昭和の職人気質だ。
その工場は木場にあった。時々父について行った時橋がたくさん見えた。どの辺だったのだろう・・・。もう聞くことはできない。聞いておけばよかった。今の子達は大人になってもGoogleマップで子供時代行ったところも特定できるのが羨ましい。

その4に続く

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