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埋め立てられた川と橋があった場所(京橋川その2)

その2です。え、もう橋は残ってないんじゃないか?と思っているそこの人、あるじゃないですか。今となってはもともと橋だったのかもわからない状態でずっと便利に使われてきた昭和通りの上の橋が。京橋川の記事を書いている人はたくさんいるのですが、なぜかみなさん、震災復興後に作られた新京橋の事は書かれないていないんです。川があった頃には橋だったはずなのに。歴史が浅いからなのかな。

新京橋

震災復興事業により幹線第1号として昭和通りが開通した時(昭和3年)に架けられました。京橋川の埋立てにより廃橋となりました。
昭和通り高架橋下、元橋の南詰にあたる交差点が「新京橋交差点」だったり、駐車場や周辺のビル名等に名前が残っています。

新京橋交差点
宝町方向から新京橋跡地を撮影

この下に出てくるのは国土地理院で公開されている1945年~1950年当時および1960年代の空中写真です。橋の存在と川の変化がよくわかります。後の1960年代の写真では川はほとんどなくなっています。三十間堀川と外濠は埋め立てられて水路だったことすらわからない状態です。楓川とその先の築地川は高速道路が建設中。京橋川は部分的には残っていますが、外濠の近くやかつての三つ橋近くに水路は存在せず、埋め立てが進められている途中であることが把握できます。

出典:地理院地図Vector

年代別の写真(1945年~1950年)を加工して作成
京橋川周辺
年代別の写真(1961年~1969年)を加工して作成

新京橋が架けられていた昭和通りについてちょこっと。当初は幅108メートルの道路として計画されたようですが、幅44メートルの道路になりました。昭和30年代後半、交通量の増大によりアンダーパスが設けられるなど、時代によって変化しているようです。

私の昭和通りのイメージは、中央通りの東側にある幹線道路というだけでした。実際によく歩くようになってから交差点がアンダーパスになっていることを悟りました。運転しない人にとっては単なる幹線道路の一つくらいの認識でしたが、歩いてみると確かに交通量は多いです。そして沿道には有名企業のビルが多く立ち並んでいることを知りました。新橋から日本橋まではこの下を地下鉄浅草線が走っています。

江戸橋歩道橋から見た江戸橋陸橋(江戸橋一丁目交差点)
撮影:2024年3月
江戸橋歩道橋から見た八重洲陸橋(京橋一丁目交差点)
撮影:2024年3月
銀座ときめき橋から見た東銀座陸橋(三原橋交差点)
撮影:2024年4月


新京橋のキーワードで写真とか記事を探していたらたくさんヒットした情報がありました。KK線の廃止と新京橋連絡路(地下)の新設です。

つまり、首都高の日本橋区間(神田橋JCT~江戸橋JCT区間)の地下化に伴い、江戸橋JCTの都心環状線連絡路を廃止して、都心環状線を利用する車を八重洲線に転換させることにし、KK線は大型車が通れないことから八重洲線と接続する新ルートとして新京橋連結路(地下)が新設されることになった、という感じでしょうか。KK線は自動車道としては廃止予定で、新たな利用空間として再生が計画されているそうです。そういえばスカイウォークという高速道路を歩くイベントがGW中にあったのをニュースで見ましたが、KK線を利用したイベントだったのですね。この空間を使ってスカイコリドー化する予定があるようですが、すべての整備が終わるのは2030年代~2040年代だそうで、果たして自分は完成を見られるのでしょうか。


おまけ。
京橋にはたくさん史跡表示があります。探すと面白いです。
これは東京スクエアガーデンの鍛冶橋通り沿いから見えるオブジェなのですが、これは2010年まで現役のビルとしてこの地にあった片倉館の正面玄関のメダリオンとコーニスを保存したものだそうです。まさかその裏に京橋の歴史が刻み込まれているとはつい最近まで気がつきませんでした。

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