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三愛ドリームセンターの解体その2:囲い看板の変化

銀座四丁目交差点の三愛ドリームセンターの続きです。

前回からそんなに日にちが経ってないので、解体自体はそこまで進んでいないと思うのですが、ちょっとした変化がありました。

これは2023年10月16日(月)に撮った写真です。


これは2023年10月23日(月)に撮った写真です。

気が付きましたか?
防音パネルの囲みの手前に白い鉄板みたいなのが設置されたのは、前の記事を追っていくとわかるとおり9月になってからのようです。今週の月曜日に通った時、無地だったものにイラストが描かれていることに気づいたんです。

中央には三愛ドリームセンターみたいな建物があります。そして道路には路面電車。もしや都電?
もしかしてこれ、昔の銀座の街並みが描かれているのでは?

ちょっと違う角度から撮影し切り抜いたのが下の写真ですが、右端にあるのは時計台のある和光ビルのようです。左側は?もし銀座四丁目交差点を描いているのなら位置的にサッポロビルのはずなんだけど。

良く見るとビルの姿が違ったんです。遠くから撮影したのを拡大した画像なのでちょっとぼやけていますが、もう少し拡大するとこんな建物のイラストでした。

探し出してわかりました。これ、数寄屋橋交差点のかつての不二家数寄屋橋店(現・銀座クリスタルビル)が描かれていたんです。1957年(昭和32年)に新装開店した頃の看板がこのセンターの丸の前にS型の形でした。そしてその隣の楕円の看板は中央に「ダイヤシャツ」と書いてあって、左側の変な塔みたいのは近くのトヨペットのものみたいです。その写真がネット上にありました。すごい。
(イラストの看板は後でもう少しキレイな写真を撮り直します。)

このことで、銀座に都電が走っていたこと、新橋停留場と須田町停留場を結んでいたのが本通(ほんどおり)線、晴海通りを走っていたのが築地線だったことなど、過去を振り返る機会に恵まれました。本通線は中央通り沿線だから、その下を地下鉄銀座線が走っていたってことですよね、不思議。私が上京した時には都電は荒川線しかなく、その荒川線ですら名前が「東京さくらトラム」に変わってしまいました。荒川線時代には都電に乗ったことがあって、ちょっとバスみたいな不思議な感覚は体験しているのですが…この時代に走っていた都電にちょっと乗ってみたかった。

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