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街歩き録

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街歩きの記事をテーマごとに並べ替えてみました。
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2024年7月の記事一覧

埋め立てられた川と橋があった場所(楓川その2)

その2です。久安橋の隣の橋からになります。 宝橋(たからはし) 関東大震災復興事業で昭和4年(1929年)に架けられました。架橋されたのが比較的新しいせいか、不思議なほど名前の由来には触れられていません。やはり宝町の町の名前からなのですかね。橋の両側に楓川宝橋公園が整備されています。 松幡橋(まつはたはし) 明暦の大火後に架けられた橋のようです。橋の両岸の町が松屋町と因幡町だったため両方の文字をとってこの名前になったと思われます。隣の弾正橋との距離はかなり近いですが、

埋め立てられた川と橋があった場所(楓川その1)

楓川(かえでがわ)はかつて中央区にあった河川です。史跡看板には「楓川(もみじがわ)」とわざわざふりがなが振られているものもあるのですが、そのいわれと思われる「紅葉川」(もみじがわ)は別に存在しますので、ここでは漢字の読み方通りに「かえで川」と言うことにします。 楓川がどの辺りだったかというと、現在の都心環状線の江戸橋JCT(兜町)から京橋JCTあたりまででした。このあたりはかつて江戸前島だった頃の東側の海岸線で、この東側を埋め立てる時に埋め残して作られたのが楓川だそうです。

埋め立てられた川と橋があった場所(京橋川その2)

その2です。え、もう橋は残ってないんじゃないか?と思っているそこの人、あるじゃないですか。今となってはもともと橋だったのかもわからない状態でずっと便利に使われてきた昭和通りの上の橋が。京橋川の記事を書いている人はたくさんいるのですが、なぜかみなさん、震災復興後に作られた新京橋の事は書かれないていないんです。川があった頃には橋だったはずなのに。歴史が浅いからなのかな。 新京橋 震災復興事業により幹線第1号として昭和通りが開通した時(昭和3年)に架けられました。京橋川の埋立て

埋め立てられた川と橋があった場所(京橋川その1)

5月の途中から、以前川だった場所をうろつく謎の行動をしていましたが、油堀川以外は記事にできていませんでした。次は京橋川です。 京橋川は開削された人口河川です。現在の場所でいうと、東京高速道路、いわゆるKK線の西銀座JCTから京橋JCTの間になります。京橋川は、外濠、楓川、三十間堀川、桜川(八丁堀)と合流していた0.6kmの堀割でした。外濠(外堀)はまだしもその他は現在は聞かない名前です。これらの川はすべて埋立てられています。 現在の地図です。 京橋(橋)があった中央通り