『お世話係』の苦悩(あるいは「疲れたといわないこども)

だいたいツイッターに生息しているので。


『保育園にいる障害児が邪魔』っていったやつについて

むむ?ってなった。

(まず、大前提として「保育園」否定派なんですよよろしくね)


そして元保育士さんだったっていうひとがでてきて

「こどもたちはみんな、やさしい」という大前提でぶったぎってきた。


いや、それって障害児がクラスにいるとかいないとかではなくて

初期のステータスに「やさしい」が搭載されていただけじゃないかと?

ことさら「誰にでも冷たい」という幼児をあまりみたことはない。


そこにいるから手伝うっていう感じシンプルに「普通」なんだけれど


ねぇ?その「手伝う子」って本当にそれで…いいの?



保育園にいる子について普通に

「長時間保育で疲れてるだろうな」とボクは思う。


そんなことないよ。と「大人」はいうけれど

こどもは「疲れた」とはだいたい言わないと思う。


こどもは疲れを知らない?

そんなことないよっていう大前提を大人は知らない。

もしくは忘れている。

とうぜん自分も子供だったんだけれど

「疲れた」という状況を「知らない」といったほうがいいかもしれない。

結構な勢いで子供を振り回しているのは大人であるという大前提から。


「こどもはやさしい」の上に「こどもにてつだってもらっている」ということを大人は恥じなければいけない。ってことだ。



だからこどものかわりに「保育園で障害児がいると、困る。迷惑」っていえる

保護者は少しだけ強いし。『疲れる』ということを肯定したんだと思う。


でもって!


自分が発達障害児っていうか自閉症児を育てているからこそ


「助けてはもらえるけれど助けてもらって当然ではない」ということを

どうにかこうにか教え込んでいる。


わたしは「母親」なので「友達」ではない。っていう前提

「先生は母親ではない」ということ。

そういうレベルの話から

『友達から手伝ってもらうな』に至るまでさまざまである。


具体的に言えば。


「相手が支援のプロ以外には頼むな」っていうところまで行こうと思っている。


前回noteでかいた

『支援フリーライド』と同じである。


保育園や普通級でクラスメイトに「支えられて」生活するの

それ「支援フリーライド」じゃない?

それを該当児該当者「当然」だと思ってない?



クラスメイト対クラスメイトは対等でなければならない。


…と、思う。


知能がある程度「高い」とその「対等」を理解しつつ

『なんで友達なのにわたしだけを助けてくれないの』ってなった結果をボクは知っている。


うちの下娘である。


最初から「優しい」と「倫理的に手伝う支援する」スキルを神さまから振り分けられてしまったので

別に「その子」をさほど「友達」だとは思っていなくても(←ここ重要です)

手伝うことができてしまうタイプなので。


小学生時代お世話係になるタイプだった

(軽くASD気味だったこともあって、礼儀正しく。ルールを守る系だったのもわかるのだ。そういう子は大人びて先生から手伝いを頼みやすいものでもあるんだろう)


そうして結果少しだけ大変なことになり

それ以外の環境変化で転居することが決まり転校した。そして

ある程度のんびり暮らすこともできたわけだけれど。


高校時代。同じように。なんかさりげなく支援すると生活できるレベルの子がクラスメイトにいたわけなのだが。

自分はどうでもいいのにだいたい手伝ってもらえる目のはしっこにその子は

日常的に現れるようになる。

お世話係で懲りているので、ある程度成長した下娘は担任に相談するのだが「そういうつもりは彼女には無いと思うよwww」だったのである

(たぶん教師側は彼女が境界知能だということは薄々?ガチで知っていたのだろうしそういう『知能』の子がそういう展開にもっていくとはかんがえてもいなかったのだろうとおもうが…甘いっすよね…)


『どうして避けるのどうして手伝ってくれないのどうして友達なのに』


で、学校で待ち伏せされてカッターで自分を「すぱーっ!」ですよ。


そこから下娘のメンタルが回復するまでに五年。かかりました。

五年って長いです。小学校ならそろそろ卒業できます。



こどもを支援するのは大人であってほしい。

できたらその『子』だけを支援できる大人であってほしい。

>それがだいたい母親になるのがたぶん「普通の人」は納得いかないんだろうけれども、でもさー「製造責任」は『保護者』にあるのでそこはなんとかしてほしいし、自分でやりたくないなら金をきちんと出してほしい。


それこそだって「できないもん」「てつだってほしいもん」って

マッマが駄々こねて「支援フリーライド」してるのが現状じゃんなぁ?

(極端に言えば)


残念ながら

お世話係で苦悩した子の親でもあるし

自閉症児の親でもあるし。


残念ながら、「きょうだい児」でもあるのがボクだ。


障害についての実体験として「障害児」が健常児の「理解」のために

教材として使われるのも(ぶっちゃけボクはどうでもいいけど)


『なにやってんだ?』ってなるじゃない?


交流級とかそういうやつだけれど。

わたしはそういうのめちゃくちゃ苦手なガキでして。

(わたし、本当に動物が好きで動物と交流したいガキじゃなくて動物とは意見を交わせないって信じてるから会話もできないと思うんだけれど好きな人は会話できるって信じてるし、理解しあえるって信じてるわよね。できねぇよ)


だって、向こうが楽しいからうれしいからって「交流に来てない」んだもの。

敵意むき出しじゃない?

(もちろん理解して楽しみにいらしてる場合もあるんでしょうけれど残念ながらボクが児童のときにあった交流イベントできていたみなさんは敵意しか感じられなかった)


そもそも「手伝われる」ような状態になる場所にいるのは「当該児童はうれしい」のだろうか?って話ですよ。

「こどもはうれしそうです」って

いうのは「大人」でしょ?


『嬉しい』って理解できてるの?


みんな「交流」して「分かり合いたい」って思ってるけれど

「あっち側」は「こっち側」に向かって「LOVE」をもらえることしか

考えてないじゃない?


そういう「概念」とは一切無縁の姉や息子を見ているので

「見返り」なんてものは一切ないよなぁと思う


あちら側から。


それでもボクは彼らを「攻略対象」としてみているので

『自分』はさほど「めんどうだ」とは思わないし

優しいから支援するわけじゃなくて「自分が面白い」と思っているから支援する。それだけのことだ。


単純に本当だったら「そういう場面」に出会わなくていいっていうほうが

日常としては安定するので…

いろんな子がいるとして「自害」「他害」傾向のある子に

保育士さんや教師側が振り回されているのを「日常的に見る」っていう子たちが

少しでも減れば、いいな。と、思う。


もちろん自害他害傾向のある「子」たちがいい環境で過ごせますようにっていうのは大前提だぞ…

それはまわりの大人の責任でだから

そりゃ考えたらこどもたちに手伝ってもらうのやっぱ


間違いじゃない?

そりゃ迷惑だっていいたいじゃない?


いいたいきもちはだれにでもおなじようにある。


あと迷惑をかけたことのない人間はいないのだが(あたりまえ)

迷惑を毎日かけまくってる人間はやっぱりそれほど多くはない。

なので「迷惑」を一度でもかけたことがあるなら「迷惑」という言葉を言うなっていうのはやっぱ間違ってるよ。

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