それでいいのかな?

息子は「鬼」という概念が苦手である

注釈:息子氏11歳小学校五年生


幼稚園の年少さん時代

なぜか一月の半ばくらいから幼稚園に行きたくなくなり。

二月の半ばからなんのこともなく普通に幼稚園に行けるようになる。

翌年も一月の半ばくらいから幼稚園に登園できなくなり

疑問に思った結果


どうやら「節分の鬼」が苦手らしいということに気が付く。


それから約10年。

息子は『鬼滅の刃』が苦手である。

まず、あれは「深夜アニメ」であって「少年誌」連載の漫画だから

対象年齢として、ローティーンでもいいんだろうけれど

「読まなくても見せなくてもいいだろう」という判断を私はする。

関係ない。息子の生活には「ほぼ」関係ない。

普通に息子の父親はアニメを見る人なのでリビングで鬼滅アニメをみていたとしても、息子がみて「あれは鬼の話」と理解してるので

「僕には関係ない話」となる。


大前提ここまで。


鬼が苦手っていうのの理屈はわからないけれど

雷が怖いとかゴキブリが苦手とかと同じようなもので説明ができる部分の話でもなかろう。「嫌いなもの」は世の中の誰にでもある。



なお私もあまり「鬼滅の刃」が面白いと「思わなかった」少数派だったりする。なんていうか「こういうの好きでしょ?詰め合わせ」はもうおなかいっぱいなので…それもなんかスカしてるかもしれないと思うんですけどアニメはなんだかんだ見たんですよね。そこを「大前提にしてください」


あまり、面白くなかった。面白いとか面白くないとかいうまえに

映像文化にあまり興味がないし、現実が「大変」すぎて物語で語られる主人公たちの「壮絶な人生に立ち向かう」みたいなやつ。もう自分の人生に立ち向かうのに疲れすぎてそういう「+」のエネルギーを「得て明日も頑張ろう」って主人公たちの話…疲れるから見たくないんですよ。


仕事先でドラマとか映画とかみないから最近、暇で犬の散歩一日に五回くらいいっちゃうwww みたいなネタを繰り広げたら

「え?鬼滅とかわたし何回もみたよ面白いよー!みなよー」といわれて

なるほどこれが「キメハラ」とかいうやつか。と思うわけ。

なお私「銀行員のドラマ」はひとに「おもしろいよ」とは言います。

おもしろかったからね。普通に。よい役者さんの演技が見られたな。とか

おもっちゃいます。

でもって「いやそういうのいらない」っていわれた相手が

鬼滅好きだったりして「みんな面白いって言ってるよ」っていってたとします(仮定)


おまえ、わたしが「おもしろいよ。よかったよ」っていったときには

「そういうのいらない」っていったじゃん。

わたしは「みんなが面白いっていってるよ」とは、いわなかったよ

わたしが、おもしろいし、勉強になるっておもったから「みなよ」っていったんだよね。

君は「みんな面白いって言ってるよ」っていっちゃうんだ。ふーん?www


ってならない?なりますよね。うん。



保護者がこどもに鬼滅を見せていいか?っていったら

ほっとけよ。ってことになります。

なお11歳息子氏「銀行員」のドラマは見てました。


ただ、ほかの子が見ていていつも鬼滅の話題になっちゃって

アニメも漫画も見てないので(流血が怖いので)小説を勧めてた。

ってツイートがバズってて「ちがくねwww」っておもっちゃったんです。


誰かがみている作品に誰かがみていておもしろいっていってるから見たいけれど流血表現が嫌です、っていわれたら

「無理してみなくていいんじゃない?」ってなるわけです。

文字情報でも「想像力に長けた子」だったら流血は脳内で飛ぶし。

それは映像で見るよりも「鮮やか」に自分の想像なんじゃないかと?


あなたはあなた。ちがうものがすき。

わたしはわたし。ちがうものがすき。

で、いいじゃん。って共通の話題がない。っていわれても

流血表現の「アニメが嫌いです」って言えればそれでいいとおもうんだけれど

話を合わせるために小説をどう?って保護者が「勧めて本当にいいんだろうか?」って



息子氏の場合。

本当にがっくりきたのは

学校からきた手作りプリントのお手紙のイラストが鬼滅だったときですね。

鬼滅が「キライ」とか「苦手」な子は「いない」と、おもっちゃったのかな

息子は「鬼」が嫌です

別に「先生」は鬼滅に「頼って仕事しなくてもいいだろ」って

わたしは憤慨しました。


いわゆる学習教材系のコラボで鬼滅なら「買わない」という選択肢もないわけではないんだけれど


学校の先生が「こういうのおまえら流行ってるから好きだろ?」って

言ってきちゃうの。なんか「やだなぁ」っておもっちゃったんです。

好きっていってるところに寄ってきた「大人」って信用できるのかなって

ことですね。

もちろん「僕の好きなものを理解してくれた大人」っていう称号も得られる可能性がありますが

「小学校の先生」っていう以上にそういう「称号」がいりますか…?


大好きなひとはいっぱいいるのかもしれないけれど

少数で「苦手」と思っている人がいて

その「少数の人を大事にしよう」って本当は

学校の先生とか「大人」がちゃんと、考えてあげなきゃいけないのになって

ことなんです。


本当に、その「ブーム」は「誰」が作ったんだろうって

ちいさい子に感染症が、歩いてきて感染するわけでもないのと

同じように「自分でチャンネルを選ぶ」ことをしない子が

深夜アニメを見るって、「誰か」が運んできたからです。


本当に「子供が最初から自分で選びましたか?」


本当に?ほんとうに?



おまけ

わたしは根っこの部分で「シュタイナー教育派」なので

テレビ自体が「七歳までの子供には必要のないもの」という大前提で

話をしています。絵本もテレビもテレビゲームも「必要ない」って

思っている部分で「今の本邦でどうやって付き合っていくのか」って

ことをずっと考えています。


絵本、必要ですか?

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