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100km走った

 9月12日はマラソンの日!ということで、今回はブエノスアイレスの出来事から少し離れて、6年前に日本で100km走ったときの記録です。その時の心境を残しておこうと、走り切った翌日に書いた文章が眠っていました。改めて読み、気合いを入れなおしたいと思います。



 100km走ってきた、とはとても言い難い100kmだった。完走というより完歩といった方がいいだろう。2017年3月26日に開催された伊豆大島ウルトラランニングは当日の天候は雨だった。そして最高気温と最低気温を足して2で割っても二桁いくかいかないかという中で行われた。

 ウルトラマラソンは初出場だ!2014年に初めてキリマンジャロ のフルマラソン(高低差がめちゃくちゃきつかった)を走り、2015年には国内のマラソンで4時間以内で走りきることができた。次はウルトラや!と思っていた。100kmともなるウルトラマラソンの大会はそんなに頻繁に行なわれているわけではない。多くのウルトラマラソンは朝の5時スタートだから、前日に会場近くに来ていなければならない。今回は転職のタイミングと重なり、運良く日程の確保ができて、出場することができた。

 伊豆大島の役場5時スタート、宿泊先はそこから徒歩10分のところにあるホテルだった。とても便利なところだったので、朝の4時前に起床しても充分に準備できた。結局夜9時には寝て4時に起床した。そこからストレッチをしておにぎり2個を食べた。窓を開けると、雨が降っていて明らかに寒い。しかし、走ったら暖かくなる、余り着すぎると雨と汗で服が重くなる、目標は10時間30分だから16時にはゴールできるだろう、風邪を引いても何でもいいから走りきるだけなのだ、などと色々考えた結果、シャツ1枚で走ることにした。でも頭をずっと冷やすのも嫌なので弁当の袋に穴を開けて頭から被った。よし、これで完璧と思ってたのが甘かった。

 15分くらい前にスタート地点へ。今考えたら想像しただけで寒い、寒すぎる、が当時は割とワクワクしていた。一緒に走った弟は、そもそもマラソン自体が初めてだった。服装を上のウインドゥブレーカーを着ずに走った方がええんちゃう、といったことを後で後悔することに。5時スタート!降りしきる雨の中、淡々と走る。最初は10km1時間のペースで!エイドが3~4kmに一回はあったので、それは助かった。まだ日が昇っておらず、「太陽が昇ればだいぶ暖かくなるはず」と思いながら、走る走る走る。2時間ほど経過して7時になる。雨なので、太陽が昇るはずもなく、ただただ寒い中、半袖でのランが続く。

 15kmくらいの所で、坂道が増えてくる。村上春樹がウルトラマラソンに出た時に「一度も歩かなかった」と書いていたので、あまり歩きたくなかったが、あまりにも続くアップダウンにまだ足は疲れていないけど、歩くことに。そのまま波浮港を通り過ぎて、三原山の山頂まで走る。30km地点くらいで弟とすれ違う。自分の方が先を走っていたと思っていたので、彼がいることに驚く。割と元気そうだった。山頂が近づくにつれて、気温が下がってきて凍える。エイドステーションでおばちゃんが「大丈夫?ゴミ袋でカッパ作る?」と聞いてくれる。それに対しても「大丈夫です。なんか、よくわからんから」と適当な返事をしてしまう。とにかく朦朧としていた。家族の車が途中の道路で応援に来てくれる。それにはとても元気が出た。

 山頂の手前10kmくらいで外国人の人と話す。彼は58kmに出ているようだ。スコットランド出身らしいが日本語はペラペラ。そもそもスコットランドが寒いので、全然寒くないらしい。人は環境に順応するものなのだ。そうこうしているうちにようやく三原山登山口のエイドステーションへ到着。ここでは暖かい蕎麦があったので、周りを気にせずに4杯食べる。奥でストーブにあたっているランナーがいるが、「そもそも自分は半袖で挑んでいる。いくら寒くても大丈夫だ。時間のロスが勿体無い」と言い聞かせ、割と早めに再スタート。そこからはずっと下りで、一気に元町港まで降りる。標高何メーターまで登ったのだろうか。降るごとに確実に気温が上がっていき、雨も同時に上がっていった。雨と寒さで最悪なコンディション、、と思っていたのが、「きた!やはり半袖でよかった」と自分に思わせることに。

 スタート地点の役場まで戻ってきた。多分11時50分くらいやったかな。これで58kmを7時間くらいで走ったことに。当初の目標の10km1時間ペースは無理やったものの、雨も上がって、(当たり前やけど)街に降りたので暖かく、「ッシャー、後42kmやろ、行けるわ!」という気分に。荷物置き場にジャージみたいなものがあったので、一枚羽織ろうか一瞬迷ったけど、辞めておくことに。そのまま再スタート。走り出すなり、ランナーの数が一気に減ったなと実感する。前と後ろを見れば必ず数人は走っていたが、2周目は数もまばらに。そして2周目も10kmくらい走った頃ふと眠気が。走りながら眠気が襲ってきて、意識が朦朧とし始める。これはやばい意識ちゃんと持たな、と思いながら車が来た時に倒れたら死ぬかもしれやんと思う。

 そうこうしながら走り続ける。割と一定のペースを保てている。ランナーも少なくなってきてるから、すれ違うランナーに「お疲れ様です」と一言声をかけている。この時は抜きつ、抜かれつ、ルイージとか忍者に扮装した人もおった。忍者のおじさんは伊賀市出身だった。元旦の伊賀マラソンには出てるみたいやから、来年参加したらおるかもしれやん。そんなこんなで走っているやはり左足に違和感を覚える。70kmを過ぎたあたりから、心配していた左足の痛みがきた。実は神戸での残り一週間の生活で自転車がなかったから歩き回っている時に、早歩きで歩きすぎて捻挫みたいな感じにしてしまったことがあったのだ。それ以降、ちょっと違和感があったのでサロンパスを貼っていたが、日々トレーニングしていたので完治はしていなかった。この辺りから上り坂は全て歩き、下り坂は左足を庇いながら走った。

 後ろから抜かされるランナーに声をかけられる。「先ほどは声をかけていただき、ありがとうございました」40歳くらいのおじさんだった。ちょっと前に「お疲れ様です」と挨拶して抜かした人だ。おじさんは「さっき実は気が遠のいて、眠いのか何かわからなくなってきていて、リタイアも考えていました」「声をかけてもらえて我に返ることができました」と言っている。自分もちょうど同じ症状があったので、そうですか自分もでした!と驚きながらしばらく併走した。おじさんからこの話を聞かなければ、何も思わなかっただろう、しかし自分のささいな行為が誰かの助けになっている、人生はそういうものなのだと実感する。

 80kmを過ぎたあたりからだろうか、次から次へと抜かされる。多分最後のゴールまでに30人以上には抜かされている。そして自分は1人も抜かしていない。マラソンは自分との勝負だ。抜かすか、抜かさないは何らどうでもいい。しかし、これだけ次々に抜かされるとさすがに焦りも生まれる。「大丈夫ですか?」と声をかけられ抜かされた。「大丈夫です!ありがとう!」と元気に返答するが、やはり周りから見ても足を庇い走っているのはよく分かるのだろう。そう言われて改めて実感する。

 このマラソンは第5関門と第6関門が厳しいです、と開会式で司会者が散々言っていた。特に第6関門の92km、12時間半は厳しい設定らしい。逆に言えばそれをクリアすればほぼゴールはできるらしい。抜かされるたびに、いつ弟から「よう!」と声をかけられて抜かされるかビクビクしていた。後で分かるのだが、もうこの時にはすでに弟はリタイアしていたのだが、レース中は知る由も無い。さすがにマラソン初めての弟に抜かされるのは悔しいと思っていた。

 しかし残り10kmくらいになるともうそんなことはどうでもよくなっていた。なにしろ、自分はもう走れなくなっていた。下り坂でも走れない。左足の痛みはピークを迎え、歩くのが精一杯だ。そして徐々に陽は沈み、いつの間にか雨も降ってきて、寒い。なぜこんなところで走っているのだろうみたいな気持ちも生まれてきた。そんな時に考えたのは昔経験したつらかったことだ。そして伊豆大島まで親兄弟、妻子どもまで呼び寄せておいて、完走できなかった、では話にならない。足がちぎれても完走してやるという思いで一歩一歩前に足を出した。

 残り5kmの看板が見えた。ここで大声出して、気合い入れ直した。大会関係者の車が止まったかと思ったら、「暗くなるので蛍光タスキつけてね」と無機質にタスキを渡してきた。あまり知らない地で、クタクタになって、雨の中走るのは本当に気が滅入る。暖かい風呂や、暖かい家が思い出される。自分はこのレースで完走しようとしている人たちの中で最も弱いのではないか、そんな思いも出てくる。弱い人たちを助けたい、みたいな変な感情まで生まれる。そしてこんな状態にもなりながら、まだ歩ける自分の体を作ってくれた両親への感謝の気持ちも生まれる。今頃子供たちは何をしているのだろうか、きっと笑顔でなんかやってるんだろうと考えると、妻への感謝の思いも出てくる。そんなこんなでようやくゴールテープを切ることができた。

 正直、もうこんなんはごめんだ、と思った。しかしそれは一瞬だった。その晩には「次の目標はどれにしようか」とウルトラマラソンの大会を検索した。人は良くも悪くもその日に感じた痛みや悲しみを忘れていくのだろう。そして達成感やその日の気持ちよかった温泉の温かさが記憶に残る。これは逆も同じで、アフリカの少年兵の話を聞いて「なんとかしなければ」と思った数日後にはそのモチベーションがどこかに消えていることもある。そうやって、生活は続いていく。自分が頑張ることで何か起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。そしてそれはランナーが「ありがとう」と伝えてくれたように、自分に伝わるかもしれないし、伝わらないかもしれない。でもまた時間が許すなら、何かに挑戦していきたいなと思った。



9月24日(日)にブエノスアイレスマラソン(42km)が行われるので、エントリーしました!!

ブエノスアイレスには坂がなく(たぶん)、平坦な街なのでとても走りやすいと思います。伊豆大島ウルトラマラソン以来のマラソン。ブエノスの街を楽しみたいと思います。

それにしても、エントリー完了はようやくといった感じです。また無事終わればこちらに手続きや本番のことを書きたいと思います。

Estoy muy emocionado de correr un maratón.
(マラソンを走れることにとてもワクワクしています)

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