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私の就活体験記

まさに「計画された偶発性理論」


「計画された偶発性理論」は、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が20世紀末に提案したキャリア理論。(キャリアコンサルタントの資格をお持ちの方はよくご存じかと。)

この理論の要点は、
・個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される
・その偶発的なことを計画的に導くことでキャリア形成をしていくべき
という考え。

たとえば、仕事を選ぶとき、人との出会いが決め手となった方、多くないでしょうか。「計画された偶発性理論」では、個人のキャリアはそうした予期しない出来事の積み重ねで作られる、と考えるのです。

偶然の出来事や出会いをキャリアアップにつながる機会と捉えること。計画通りのキャリアステップでなかったとしても、まずは挑戦してみようというスタンスが次の扉を開くことがある。偶然の機会を積極的に増やすよう行動することで、キャリアが広がっていく可能性が高まることがあります。

そして、私の就活も「偶然の出来事」+「縁とタイミング」+「自己決定」、この3つの柱でずっとやってきたような気がします。

はじめての就活

バブル崩壊の年、1992年、私の最初の就職活動が始まりました。当時は特にやりたいこともなく、漠然と大手企業にに就職し、数年働いて寿退職(予定は全くなかったのに当時の主流の考えに何となくひきずられていました。)というくらいにしか考えていませんでした。当時の大卒女子の流れでは、一般職で働くか、総合職で働くかそんな選択肢からのスタートで仕事を決める人が周囲には多かったです。私も当初は、総合職を希望していて、当時大量採用されていたSE職(総合職)希望で就活をして、何社か内定をいただきながら、結局は縁故採用でメーカー事務職(一般職)に決まり、会社の知名度にひきずられ、そのまま就職しました。正直、企業研究はほぼしていなかったので入社後、知らないことがあまりにも多すぎました。結局こちらの会社には結婚後もお世話になり、ずっと定年まで働いてもいいかなあと思うようになり、1人目の妊娠がわかったときも育休取得をしようと思っていたのですが、急激なシステム化の流れにより、拠点統合が積極的に行われ、当時自宅から通勤していた職場には出産後通えないことになり、転居してまで別の拠点に残ろうとは思わず、そのまま育休中に会社都合退職をしました。この決断も今だったらもっと真剣に悩んでいたのでしょうが、当時はたいして苦労もせずに就職したものだから、仕事はいくらでもあるとまだまだ軽く考えて早々に決断してしまいました。

出産後の再就職

1人目出産後、再就職するという約束で夫とも話し合い、私の実家近くに住んでいました。ただ、出産後思ったより育児に手がかかり、とても就職活動どころではなくなり、1年、2年とずるずる活動を伸ばし、挙句の果てには2人目ができたら働こうかなと、当初の約束を勝手に反故していました。そんな中、夫から働かないんだったら、私の実家近くではなく、夫の勤務先の近くに転居も考えてほしいと提案され、それは困ると思い、長男が2歳を過ぎたころ、ようやく就職活動を始めました。世間を甘く見ていた私は、大手メーカー勤務、そこそこ学歴、これがあれば簡単に再就職ができると、勝手に思い込んでいましたが、もうそんな時代はとっくに過ぎ去っていました。何社か落とされた後、パソコン教室の補助というアルバイト求人を見つけ応募、エクセル、ワードもほとんどできなかったのですが、ちょうどIT講習会ブームまっ最中だったため、採用していただくことができました。そしてその仕事には、エクセル、ワード、パワーポイントの知識が不可欠だったため、仕事しながら資格も取得というラッキーな環境に身を置くことができ、正社員に向けての土台を少しずつまた積み上げていくことができました。そして、そろそろ正社員でと思っていた矢先、たまたま見つけた新聞折り込みの広告に前職の関連会社の事務職求人を発見。最初は、一度退職した会社の関連会社にのこのこと行くのは少し恥ずかしいと思ったりもしていましたが、私が居住している奈良県では正社員の事務職求人が少なく、これを逃したらもうないかも、との危機感の方が勝り、応募。20数名の中から採用していただくことにはなったのですが、元メーカー社員、仕事内容もある程度熟知している、面接担当者も先輩だったというご縁に恵まれての再就職となりました。

人生100年時代に向けて

こちらの会社ではその後、2人目の育休も取得させていただきながら、約14年お世話になりました。そんな中、また次の転機が到来。勤務先が当初の県内から大阪府北部に移転となり、時短勤務を利用しながら通勤をしていましたが、時短勤務終了が見えてきたころ、今後の働き方を真剣に模索することにしました。このまま往復3時間の通勤を続けていくのか、定年までこの会社で働き続けていいのか、ほぼ同じ業界、同じ業務をし続けることに後悔はないのか、仕事と家庭のバランス、金銭的にはどうか、本当にやってみたい仕事に挑戦してみてもいいのではないか等々、試行錯誤した結果、最終的には、定年のない仕事につきたい、私の恩師(ロールモデルです)のように、80歳過ぎても仕事を継続していきたい、それならこの年齢でもまだ遅くはないだろうと思い、退職を決意しました。退職当初は、求職訓練のキャリコンの仕事を紹介していただき、いきなりキャリコンの仕事ができる、ラッキーと思っていましたが、諸事情によりこちらの仕事はなくなり、別の仕事をすることになりました。別の仕事をしながらも、キャリコンの実績やキャリコンとして若い方々の就労支援の仕事をしたいという思いが募り、現在の就労先である、就労支援相談業務の仕事に応募。面接はほぼ雑談で終わり、即決していただくことができました。運命思考ならではの考え方でもあると思いますが、面接の数日前がちょうど誕生日で、どこの神社に参拝に行こうかと迷っていたところ、勤務先の近くの神社にたまたま参拝をしたのも何かのご縁かなと思っています。

以上ざーっと、書いていきましたが、決断のタイミング、就業場所、どんな場所でも人とのご縁が私の人生をつかさどっているのは間違いないです。ここまでお読みくださった皆様とのご縁にも感謝です!

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