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声帯麻痺でも歌いたい私へ

※この記事は、あくまで自身は声帯麻痺であると自己診断した筆者が、勝手にそうと決めつけて、勝手な妄想で書き散らした作文です。重篤な声帯麻痺を患い、悩まれている方にとって、不快な内容であるかもしれません。そのような方は読まれない方がいいかもしれません。※

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こんにちは
子どものころ、私は歌の才能があると思っていました。童謡の"もみじ"をひとり口ずさんだ時、聴こえてくる自分の声、それを思い通りに操って(歌唱して)いる全能感は、確かに才能が無ければありつけない幻だったように思います。

そんな幻は蜃気楼のように消え失せ、医療機関であるボイスクリニックに縋り、ボイストレーナーの師匠に縋り、めちゃくちゃ藻搔いています。自分が頭の中に創造した音色は、いつしか私の喉を通して外に発せられることは無くなりました。徐々に体感通り歌えるという技術を失い、3年くらい経ったんじゃないでしょうか。

結局いまも、私が想像したファルセットが発声出来ないクリティカルな原因は診断されていないので、病名を断言できないし、従って治療法も存在しないのですが。

どうやら片側声帯麻痺という症状が出ているようです。私の場合、声帯を伸縮させる喉に貼り付いた筋肉群の一方の動きがとても悪い、ということのようです。それだけでなく、声帯に結節も認められているし、ボロボロです。

私は、ボーカリストの生き様ってめちゃくちゃ大事だと思っています。神様から直接授かったような、凄まじい声を生まれ持った人も世の中には大勢います。そのような方々には無関係な話だと思います。

言ってしまえば、声そのものだけで闘えない歌手は半分偽物だと思います。ホンモノとは既に2倍以上の差があるところから走り始めるのです。才能がないなら、まずそれを自覚するしかない。

強迫的だなと、書いていて思います。読んでいる方は、半分くらいは聴き流して頂いたほうが清潔でいられるかもしれません。

私は今30代になりますが、ボイストレーニングは10代の終わりから通い始めました。当時は雇われの先生のことを何とも思っていなかったので、何かを得たような記憶はありません。(そもそも、今ほど才能に渇いていませんでした)

社会人になって、御茶ノ水のスクールに通うようになり、3人くらいの講師の方に支持した記憶があります。最後の1人の先生のところで遂に、改めて歌を掴み始めたことを覚えています。その先生は呼吸とピッチを何より大事に教えてくれました。同じ曲に半年掛けて向き合い、というのを2曲やりました。(尾崎豊のi love youとHYの366日です)
生活の拠点が変わってしまったので、中々叶わないとは思いますが、また機会があれば教わりたい先生です。

それから少しの間東京を離れ、また東京に戻り、すぐにコロナに罹患しました。39度くらいの熱が出るなか、3日ほど朦朧としながら過ごし、病が明けた頃、耳がとても良い妻から言われた「すこし声変わった?」言葉は今もよく覚えています。振り返れば、その時、雑菌が筋肉を犯してしまったのかもしれません。2021年のことだったと思います。

声帯麻痺は、症状が出てから半年以内であれば改善できるようです。それ以上の期間が経ってからの改善は見込めないという記事も目にしました。事実クリニックの先生も、この先に確立された治療法はないと、私の目を見て仰っていました。

長くなってしまいました。元々、「才能が無いボーカルがやるべきこと」という記事を書こうとしていましたが、タイトルを変えたいと思います。

私は、声帯麻痺と診断された訳ではありません(片方の整体の動きがすごく悪いねと、言われたにすぎない)。あくまで、地声の範囲であれば人並み以上に歌える自負もあります。ただ、裏声を出そうとすると、左側の声帯は伸縮することを止め、風に靡く旗のようにバタバタと騒ぐような音を立ててしまいます。右側の声帯は懸命に、私が脳内に描いた色を発声しようと、張り詰めているのがまた、虚しいくらいに滑稽です。

私にはいま、御茶ノ水の先生を卒業(?)し、荻窪の先生を卒業(?)し、新たな先生に師事しています。わたしは病院に行く度に、トレーニングを受ける度に、お医者さんから言われたことを話し、うんうんと聞いてくれる先生です。

もしかすると、ひとりだったら、もう歌なんてとっくに辞めていたのかもしれません。好きなことより、得意なことで勝負しよう、みたいな文句を幾度となく目にしてきました。その度に自分にとっての歌や曲の居場所について問答してきました。

今も私を支えてくれるのは、そばにいる妻と、バンドメンバーと、歌の師匠、歌を志す盟友たちです。感謝しないといけません。

私は、これから先、現在所属しているバンドでどこまで歌えるかは分かりません。私の中の闘志が燃え尽きるのか、筋肉が動かなくなるのが先か、はたまたメンバーが次のステージに行くのが先か、わかりません。先の見えない真っ暗な闇の中を辿っていくのは、いつも自分一人です。だからこそあらゆる対象と問答を繰り返し、自分の中に自分だけの柱を立てたいなあとおもいます。その柱は決して、真っ直ぐなものではなくて構わないと思います。

わたしは、歌を愛するバンドマンの方がいれば繋がっていきたいなあと心底思います。同じ志を持つ方がいましたら、ぜひコメントください。

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