見出し画像

自分では積木を積めない乳児でも、崩すことには興味をもちます

 手や指の力がまだついていない乳児には、積木をそのまま与えても、自分の力で積むことはできません。しかし、だからといって積木は早すぎるとの結論をだすのは考えものです。力はなくても、手を動かすことができれば、積まれたものをたおすことはできるからです。

 童具はあらゆる使われ方を認めて与えるべきで、時には親が遊び方の工夫をしてやることも大切なのです。積木の場合なら、大人は「積めないのに与えたってしょうがない」と決めてかかるのが普通でしょうが、子どもは、積むことができたときに劣らない喜びを、崩すときに感じているのです。

 どんな赤ちゃんでも、発見の喜びをつねに求めています。手や身体はまだ未発達でも、身のまわりを観察して、その出来事に驚いているのです。親が積んであげた積木を赤ちゃんの前に置けば、自分の手で積木をたおします。と言うよりも、それしかできないのですが、それでも充分に遊びの目的を果たしていることになります。

 この活動を<崩す>と解釈するよりも<壊す>と解釈する親が多いのですが、これはけっして破壊活動をしているのではなく、新たな事態を自分の手でつくりだす創造活動ととらえるべきです。

 赤ちゃんは、親が積んでくれなければ、たおすことはできません。この手助けが親の役目です。このように積木に限らず、親の手助けがあれば乳児でも遊びは多様に広がります。

 例えば、大人用のバスケットボールなどはどうでしょう。よちよち歩きの子どもに、自分の手ではとうていつかめない大きさのボールで遊ばせてみるのです。もちろん、バスケットボールを子どもがひとりで使いこなせはしないので、与えっぱなしで放っておくのではなく、親がそばについて、転がしたり、押しつけたり、弾ませたりするわけです。

 そのことによって、子どもは思いがけない喜びを見いだします。0〜1歳の子にとって世界はつねに新鮮で、なぞに満ちています。どんなことの中にも因果を知ろうとしています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?