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ディスカッション事例が面白い。「中学校の、卒業謝恩会の、お酒」を保護者で議論する

This is a pen.

これで英語の勉強になるのか、と言う議論は大昔からされている。最近の小中学校の英語の教科書がどんなのかは私は知らない。が、今日またぶっとんだ。

高校じゃないよ、中学校の卒業、だよ。

英語のクラスでのこと。2つのチームに別れて、こんな事例を前提としてでベートをした。
・中学校の卒業謝恩会の飲み物
・保護者でお酒を出すかどうかを話し合う
・参加している学生はデンマーク・ポーランド・スロバキア・フランス・メキシコ・ベルギー、メキシコ、、もう忘れた、、、そして日本

当たり前のことだが、ベルギーやデンマークでは飲酒は16歳からokだったり、18歳から大丈夫な国もあれば、20歳、21歳と国によって異なる。たまたまデンマークで話をしているが、ディスカッションには、自分の国をベースにいろんな意見が出てくる。

「飲酒のトライアルは家庭の役割。飲酒は14,15歳からしておいて、どのくらい飲んで良いものか、アルコール中毒にならないか、などはしっかり家庭内で見極めておくものだ」と言う意見がほとんどだったのだ。またまたびっくりしてしまった。家庭できちんと確認をしておくことで、パーティで無理に勧められても、相手に嫌な思いをさせないで断る術も学んでおくべきだ、とも。

こんな、言われてみれば当たり前のことを、なんで私は今まで気がつかなかったのか、と恥ずかしくなった。だって、自分の子どもを守るためだったり、他人に迷惑をかけないためだったり、と、ディスカッションを聞いているだけでも、体に染み込んでくる話だった。

ディベートなので、体ができていないからだめだ、とか、公共のパーティでは国のルールに従うべきだ、とか、各々思っていないことも言わないといけないのだが、「飲酒トレーニングは家庭で行うことが前提」で話は進んでいた。

一人取り残された気分になったのは、英語力がないだけでなく、日本(の私)の一般常識がみんなとあまりにもかけ離れていたことだ。

大学の新歓コンパで一気飲みで急性アルコール中毒で倒れたり、と言うのは、それを禁止するのも重要だが、「自分を知る」ことを大学入学や社会人になる前にキチンんとしておかないからだ。(と知った。)

「他人はどう行動しようが、自分はこうする」と言う、考えを持つのが当たり前なのにも驚いた。日本では、誰かの顔色を見たり、隣の人の行動を見て、自分の行動を決める人はとても多い。私も御多分にもれず、そのような日和見主義な部分は多々ある。

一緒に学ぶ学生には高校卒業したての若者も多い。しかし、彼らがこれらのことを、堂々と話すのだ。

なんか、自分はみんなより歳を取っているだけで、なんの価値もない人みたいに見えて悲しくなった。(私はどちらかと言うと、自己肯定感が低いんです。これは私の弱点と認識しています。)

ヨーロッパを中心に世界中から集まってきている人たから、自分を持っている人が多いのも事実。ほとんどの人が9月から大学に行くのに、自分はもっと先の将来を考えてから大学を決めたい、など、かなり素敵なことを言ってくれる仲間だ。(日本人はシャイなのもあるが、外国?の青少年たちは男女関係なく、ドアを開けてくれたり、食事をお皿に取ってくれたり、一緒に話さないかと声をかけてくれたり、とても優しい人が多い。)

イギリスにいる息子がEUの他国に遠征に行った際にBARに連れて行かれて驚いていたが、それが当たり前のことだったと今頃知った。(学校に連絡を入れた自分がとても恥ずかしい。。。)連れて行かれた、と言うよりは、そんなこと当たり前のことで、あとは自己管理、だったんだね。

まだまだ恥ずかしいことが続きそうだが、ショックで倒れないように頑張ります。 to be continued...


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