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1人になったから最後の遠出に世界遺産、キンデルダイク 。いろんな人に感謝しながらボートでゆらゆら日本の未来を考えた。

デンマークはフォルケホイスコーレ留学だったから毎日することがあった。今回のオランダは自由な1ヶ月。何をしようか、何ができるかと思っていたのだがあと二日となってしまった。信じられない。この日の朝、3週間一緒に生活したJackがデンマークに行ってしまった。午前3:30に起きて私も一回までお見送り。もう一回寝たんだが、目が覚めてから出発。本当はゴッホ美術館に行くつもりだったのだが、web予約していなくてチケット売り切れ。それなら、さらに冒険してみようと家を飛び出した。

メモ
・キンデルダイク は遠かった!
・出会った日本人が香港人を中国人と言ってドキッとした
・まだ住んでいる人のいる世界遺産は白川郷と一緒。風車と運河と自然が調和し、自転車も犬も人もゆったり歩けた
・キンデルダイク で見た親子に懐かしさを覚えた
・日本の未来に必要なことは?

地下鉄→快速電車→地下鉄→水上バスを乗り継いで片道2.5時間。我ながら感心する。どうしてこんなに元気なのか。作っていったサンドイッチは電車の中で食べて、現地では活動に集中。両サイドに風車を見ながら川を楽しめるチケットを購入し半日滞在した。途中雨が降ったり止んだり。虹もでた。横に長い、まるで吹き流しのような虹は初めて見た。どんな現象なのだろう?

あまりにも虹色の帽子が似合っている男の子。イタリア語で家族で話していた。(多分、イタリア語。)

中を見学できる風車がある。珍しく日本人の男性がいた。「すっげーなー」と風車の動力で粉を引いている仕組みを見ていて感心した。外に出た時に彼がいたので、「日本の方ですか?さっき日本語が聞こえたから!」と(懲りずに)聞いたところ、「はい、そうです。すみません」と言われて戸惑った。日本語を話していたことについて謝ったのだろうか?全ての人が各々の自国語を話しているのだから何の問題もない。彼の横にもうひとりアジア人の男性がいた。「彼、中国人なんです。さっき会ったところなんです」と。すると、その彼も私に挨拶してくれた。「コンニチハ、香港からきました。」その時点で私は驚いてしまった、日本人の男子が彼を中国人と私に紹介したからだ。思わず「それでは香港人ですね。日本語お上手ですね。アニメが好きなんですか?」と。そんな会話をして別れたのだが、私はつい、その日本人の男性に「私は香港の人は中国人だと思っていません」と言ったところ、香港人の彼が「ありがとうございます」と言った言葉に日本人男性が驚いた。「そうなんですか!!!」と。香港人の彼は言われ慣れているかもしれない。私も不用意な一言を言うべきではなかったかもしれない。しかし、言わないわけにはいかなかった。変な正義感はトラブルの元と知っているのだが。お二人には嫌な思いをさせたかもしれない。ごめんなさい。

草ボウボウで最初は驚いた。しかし、よく考えたら草刈りしちゃったら風情は壊れてるし、虫たちの生活拠点がなくなる。

たくさんの家族が見学にきていた。自転車で走り回れるので家族連れにももってこいだ。そんな時、4歳ほどの女の子に、お父さんが丁寧に説明していた。「あなたの荷物はあなたが持つものだ。他の人に持ってもらいたいと思ってもそう言うわけにはいかない。みんな自分の荷物を持っている。そして自分の足で歩かないと前には進めない。わかってくれるまでここで一緒に待つからね」と言う感じのことを言い聞かせていた。英語だったけどどこの国の人かはわからない。根気強く子どもに言い聞かせ、怒るわけでもなく、本人が動き出すのを待っていた。何だかとても懐かしかった。我が家でも似たようなことがあったなあ、と。

自転車と徒歩はこの様に分かれている

風車と自然と運河の調和がとても気持ちを落ち着かせてくれた。観光地だけれどうるさい人もいなければ、自転車道も整備されていて歩行者の邪魔にならない。犬連れがとても多いので、それも楽しかった。現在もお住まいの風車もあり、こんな家に住むのもいいけどメンテナンスコストが大変だなあ、などと考えたり。

帰りも同じルートで帰宅。オランダのビルはとてもユニークな形をしていて、それを楽しみながらまたまた2時間半かけて帰宅。部屋に着いたのは21:30頃。シャワーで汗を流して冷蔵庫にあるものを食べて寝た。爆睡。


積木のようなビル。ドキドキする、倒れないのかな?

さて、どこで日本の未来を考えたのかというと、実は個性のある建物と人々の服装だ。オランダに来て3週間、途中にルクセンブルク・ベルギー・ドイツにも行ったが、どの国も空には電線がなく、子どもたちも大人も様々な服を着ていた。日本だと派手だと目立つが、この国ではどんな派手な服装や髪型をしていても目立たない。それは服装だけでなく肌の色の違う人が集まっていることもあるだろう。だからこそ体型も体格もまちまちだ。白人と黒人の親子や夫婦(パートナー?)もたくさん見るし、何もかもがこの国のフツーだ。だからかもしれないが、同じ方向を向けというサインが少ない。電車のホームの様々な指示(親切?)がこの国にはない。電車の中のディスプレイ広告もほとんどないし、とにかく、日本にあって当たり前のものが結構ない。(電線然り!)すると、無い方が良いものにも気がつくし、あった方が良いものもわかる。だからこそ外の世界を見てみることは勉強になるのだと思う。日本の未来を作るのに他の国々はとても参考になる。若い人たちにはどんどん外に出るチャンスを作って、その上でその国にいる人たちと対等に話ができる言語・話術・知識・好奇心・勇気を公教育でつけていく必要があると思う。これが私が漠然と考えていた日本の未来だ。日本はいろんなことが親切すぎて人が考えなくても行動できる形ができている。それは一見便利そうだが、実は考えることをやめ、対話を減らし、人間関係の構築を妨げることになっていると最近よく思う。もっと信頼して、少しくらいトラブルになっても対話で解決できる社会が必要なんじゃないだろうか?

ギザギザのビル。隣は三角形か?
地下鉄のホーム。なんかスッキリしてるでしょ?天井が高いのもあるけど、文字や絵(ここに並ぼう、ここが何両目、様々な指示(親切とも言う)がない。






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