アムステルダムのPRIDE プライドに参加して思うこと。お祭りがきっかけでもいいんじゃない?
今回は参加というよりは見ただけだったが。2年前のデンマークではきちんとプラカードをもってパレードに参加したのだが、今回は応援(観客?)の形で現地に行った。ドイツ等の近隣国からも参加者があり、どれだけ人がいるのというほどのヒト・ヒト・ヒト。お祭り好きというのもあると思うけれども、単なるお祭りではなく、公共施設も企業も国民もが認めるイベントであることは町中にある🏳️🌈レインボーフラッグが証明している。(しかしゴミだらけであることもそれはそれで問題だろうがそれを上回るものがあると考えたい。ゴミを持ち帰る人が少ないのは、ゴミ箱があって、それをはみ出していても周りに置いていた。)
2年前にほぼ初めてPRIDEのことを知った。聞いたことはあるが、自分には関係のないものだと思っていた。当時学んでいたデンマークのフォルケホイスコーレのドイツ人ボランティアの発案からパレードへの参加が決まり、学生でポスターも作った。当たり前かもしれないが、自分の周りでPRIDEが盛り上がり、自分でもいろいろ考えるようになった。例えば自分や自分の周りの人が男性同士、女性同士の結婚ができないという困難にあっているという事例がなくても自分ごととしても捉えられる気持ちが少なかったことに気づいた。世界中に親のない子どもが溢れているのだから、自分たちの実の子どもだけを育てる必要もないだろう。(実の子を育てたい場合ももちろん良い。)
さて、久々のPRIDEはやはり明るかった。銃の反対運動等の外国のパレードを見ていてもいつもそう思う。だからいろんな人が参加したくなる。そして参加して自分ごと感が深まる。日本ではまだまだ当事者だけが参加することが多い。お祭り騒ぎに参加してその気になっているだけだと言われるかもしれないが、何にしてもきっかけが必要で、そこがスタートになるのではないかな。スポンサーリストを見ても誰もが認めるイベントだ。反対運動・権利主張運動が明るく、誰もが楽しめる形で拡大することが日本でもできたらな、と前回も今回も思った。アムステルダムでは2年ぶりということだったので、さらに大きなものになっていたのかもしれない。(過去のアムステルダムのPRIDEを知らないので。)
1社あたりのスポンサーフィーはどのくらいなんだろうな?日本の学校の教育にももっと一人ひとりが楽しめる形が取れたらなと思った。小学生がPRIDEにみんなで参加するなどしてみたら理解が深まるのではないだろうか?昨晩学生寮のコアスペースで作業をしていたら、PRIDEに行っていた人たちが大勢戻ってきて驚いた。22時でもまだ少し明るい感じなんだが、みんなは卓球やボードゲームでワイワイやってました。私はそっと自室に退散。
では、ちょっとだけ写真を共有してオシマイとします。
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