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「自分にはコレしかできない」が始まり、54歳のトランスフォーマー誕生!?



54歳のトランスフォーマー


私の歴史を語っても仕方がない。が、誰かの参考になることがあるとするなら一つある。それは54歳のトランスフォームだ。それまでは自分(と家族)がそこそこ幸せに生きていければ良いと思っていた。だから、全ての行動の基準は「自分(たち)のそこそこの幸せ」であった。

長らくIT(通信?)系大企業で働き、そのあとは上場前後のITベンチャーで働くという機会に恵まれた。その頃は自分はとても運の良い人だと思っていた。だって、「そこそこの幸せ」の中にいつもいられたからだ。日本の終身雇用が壊れ始めた世代の人間ではあったが、なんとなく、60歳が仕事を持つ最後かと思い、最後は「憧れの外資系企業」で働きたい、と思っていた。あの時に今の知識があったなら、100万円をもってどこかの国で起業してみよう、とか思えたかもしれない。残念なことに私は就職すること以外、お金を得られることはないと思い込んでいたので、片言の英語しかできない状況で入社できる会社を探そうと思った。そんなとき、以前働いていた会社の創業者がカンボジアで起業していた。そこで働くことになったのが今の人生の始まりだ。縁とはそんなものなのだ、と今は思える。そこから「未来のために」と言う世界観が持てるようになった。

自分の子どもだけが幸せになれる世界はない

一番大切なのは自分、次に大切なのは一人息子、、、口には出さないがそんな序列が自分の中にあった。それに合わせて行動していた。しかし、仕事をしながら分かったことは、受験戦争とも呼ばれる子どもの教育の加熱を俯瞰的にみていくうちに、「この、一点でも良い点を取る競争は誰のためなのか?」「その子にとって何になるのか?」「それはその子や周りの人の幸せに、本当になるのか」と言う疑問が湧いてきた。大企業で働いていた時も、ベンチャーで働いていた時も、人を巻き込んで周りも笑顔にしながら仕事を進められる人の学歴など気にしたことなかったし、ましてや「すがるものが学歴しかない人」もたくさんみてきたからだ。(合わせて、日本の大学は「入るのが難しくて、出るのが簡単」という事情については別途書いてもみたいがここでは割愛。)私の時代はどんな大学を卒業しても「大卒」と言うグループに入って給料がもらえたが、もう、大学名よりも実力が大切な時代になってきた。新入社員の時から同じ大卒でも給料が違う時代になっていることを、周りの大人たちは知っているのだろうか?

そんな時代背景の中でも高校の先生も、保護者も有名大学、有名企業への就職を望むし、多くの子どもたちは親に言われる方向に進む。相談できる人は親と友達しかなかったら、情報レベルは変わらないから、時には相談したことにならない。そんなことを、遠巻きに見ているうちに分かったことは、大人は自分の子を含む全ての子どもの未来を考えて行動しないといけないことに気がついた。そんなアタリマエのことを、と思う人もいると思う。しかし、過去の私のような考え方の人は多いと思うし、それがアタリマエだと思っていると思う。よく「自分や家族を幸せにできない人が、誰かを幸せにできるはずがない」とも言われるが、私も過去にはそれには同意していたが、ここ最近はそうではないなあ、と思うようになった。つまりは、全体最適化(=子どもたちみんなが幸せになる)が必要なのだ、と。

良い学校を見に行ってレポートするくらいならできる

私みたいな人は多いと思う。それはどんな人かというと、取り立てて特技がない人だ。エンジニアでもないし、流暢に英語が話せるわけでもない、研究者でもなければ、医師でも弁護士でも教師でもない。没頭している趣味もないし「自分は世の中の役には立ってないなあ」などと悩んでる人、である。誰かの荷物をもってあげたり、落ちたものを拾ったり、席を譲るくらいのことしかできない私には、ほんの少しだけ行動力があった。なので、田舎で「地域の子どもたちの国際化」を頑張っている学校を回って、レポート(記事執筆)することにしたのだ。面白いもので、そんなことをやりたいと話していたら、あるオンライン媒体で記事を掲載してくれると言うので、早速ガンガンといくつかの学校や団体にアポをとり、訪問日程を組んで行った。笑い話を先に伝えると、1回目の記事を書いたのちに「有澤さんの文章は事実を並べて書いているだけなので記事にならない、企画ごとボツ」と言う連絡が編集部から届いたのは、ほとんどの訪問取材が終了してからだったので、どれだけショックだったか。文章を書くのが好きだったこともあり、「これしかできない」がとうとう無くなったと言う思いであった。あのショックは本当に、本当に、人生が終わるほどのショックだった。まさか今頃そんな思いをするとは思っていなかっただけに、生きていると言うのは大変なことだと真剣に思った。

捨てる神あれば拾う神あり

最近、今の時代に合わない諺もあるなあ、と思っていたのだが、今回の出版はまさに「捨てる神あれば拾う神あり」と言う心境だった。オンライン媒体から執筆中止を宣告され、心がヘロヘロになっている頃、に1冊目の出版物が発行された。「答えのない教室」(新評論)だ。これは共著で私は第6.7章をかいた。第7章はバンクーバーにまで行ったのでお金もかけた。自費である。文章が下手で連載が中止になる前にこの執筆を始めていたのは幸運だった。私はこの書籍の出版を手伝っていただけだったのだが、途中から「私も共著者にしてほしい、私は日本の教育現場の課題と実験授業を観察者の形から書く」「長期間実践されているバンクーバーの現場も取材して書きたい」と名乗りをあげて2章を書いていた。そんなタイミングだったので、この書籍の完成までの何回かのミーティングの中で、連載がボツになった話を出版社の社長に愚痴っていたら、「ほんなら、うちから出版するか?出せるかどうかはわからないから、まずは書いてみて」と言われて、出版できるかもしれない、と言うステージが急に見えてきた。「こんなことあるんだ!」と本当に驚いた。一冊目を書いていたことと、それまでのさまざまな会話で、真剣に日本の教育を少しでもなんとかしたい、と思っていることをご理解いただけた体と思う。逆に言うなら、「日本のアタリマエを変える学校たち」(新評論)が全く売れないと、出版社がコストだけ引き受けたことになるので、それはなんとかしないといけない。私が有名人なら良いのだが、一介のオカアサンだから、たくさんの方々の手に届けることも著者としての使命である。

書いているうちに長くなってしまった。

<note>
・行動したら何かは始まる(家で寝てても何も起きない、、、)
・年齢は関係ない(気になるけどね!)
・流れに乗る(流れを作るのは難しい)

「書くことしかできない」と思っていたのに、それを否定され、行動力しか残らなかったお話でした。結果オーライ!




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