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夢に触れる

夫が夢を見たというので、どんな夢だったか話を聞いていました。「夢に出てきたものから、どんなことを連想したり感じたりする?」などと聞いていましたが、何か夢の周りに膜のようなものがあってそれを撫でているような、本題に入っていない感じがしました。その夢には駐車場が出てきたということでした。ふと思いついて、「私、その駐車場になってみるね」と言って、私は駐車場に「なりきって」みました。イメージの中で。(この時点ですごい変な夫婦です。笑。あ、申し遅れました。私は、「寝ている時に見る夢は、もう一人の自分が心の深いところから、手紙をくれている」として夢の意味を探る「ドリーム・ワーク」に取り組んでいます。夫はそれに付き合ってくれています笑)

さて、夫の夢に出てきた「駐車場になってみた」ことで、夢にぐっと入った感覚がありました。その感じは体感としてしっかりとそこにあります。「夢に触れた」感覚です。駐車場になった時の、気持ち、からだの感覚、どんな味わいだったかを夫に話したのですが、ここで明らかに対話の質が変わりました。夢が内奥から来ているものであるならば、夢に触れることは、夢見者の奥深いところに触れることになります。

ところで、先日参加した「ドリーム・ワーク」でも、「夢に触れた、触れてもらった」感じがありました。(zoomで物理的には離れていたのにも関わらずです。)ワークの方法は、参加者が夢見者の夢に出てきたものに「なってみて」イメージして感じたことをシェアするというものです。夢の意味を頭で理解するというよりも、夢の「質」を「からだ全体で、自分丸ごとで分かった」感覚がありました。

参加者がお互いに深い部分を共有したということなのでしょう。その対話によってじわじわと満たされた気持ちになりました。滋味深いおかずをいただいた時のように、後から沁み渡ってくる。これは、人と人が対話する時に、普段は社会的な仮面をつけているけれども、「夢に触れる、触れてもらう」ことにより、その仮面の奥にある人の本質のところでの交流が起きているということなのかもしれません。夢を扱う中で、このような深くあたたかい関わりが起きてくる。ありがたいことです。(もちろん、自分が体験したことを夢見者に押し付けない態度や、参加者それぞれがお互い尊重する態度、場をホールドするファシリテーターの在り方が重要になってくると思われます。)

この感覚を頼りとして、日常においても、自分の本質に触れる、他者の本質に触れるような関わり合いができたら、どんなに良いでしょうか。(道のりは遠そうですが、それは、大いに伸びしろがあるということで、楽しく目指していきます笑)

ちなみに冒頭の絵は、先述のドリーム・ワークの時に、私の夢を絵に描いたものです。「手と手が触れ合って」いますね。まるで夢に触れるように。。。

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