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めぐり逢わせのお弁当

睡眠時間が短くなっても、少々無理をしても、やりたいと思うことをポンポン放り込むようになったこの頃。新しい習慣が増えて、それに伴ってなんだかんだと世界が広がって、じんわりとハートが温かいことを感じる。私は疲れていたこと、寂しかったことに気が付く。何が欲しかったのか、少しずつ分かり始める。今晩も、いい映画を見た。

映画に出てくる二人の、それぞれが抱える孤独が痛いほど伝わってきて、決して幸せな物語ではなかったけれど、どんな形であれ誰か聞いてくれる人がいることで、人は救われるのだと思った。見終わってから、この情景が何かに似ているなと思ったらnoteだった。ふと閲覧した、誰かの日常の一コマに共感したり、誰かが私の文章を読んでくれていることを実感する時。私もこういう、ささやかな人との繋がりに勇気づけられている。

ついこの間まで、私の小さな世界と生活は完全に固定され、しばらく感受性の水やりを忘れたような生活をしていた。朝起きてから夜寝るまで、ひたすら「~ねばならない」を片付ける。信じられないけれど、息抜きだと思ってやっていたことは生協の注文だった。仕事と育児と家事に必死で、自分の時間なんて逆立ちしたって出て来ないし、皆そういうものだと思っていた。でも、そんな魂をすり減らす生活にはもう戻らない。仕事が始まっても、ちゃんと私は私の幸せを守っていけると、自分を信じよう。

さすがに、こうして「日曜日の夜中に映画を見る」なんて言うことは育休中だからできる無理だと分かっているけれど、仕事が始まっても映画とnoteを続けたい。週に1度になっても。

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