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自伝 ~社会人編1~

大学の理系の学部で学んだ後、社会に出ました。

20世紀の日本の状況を表す言葉に、終身雇用や1億総中流時代といった言葉がありますが、自分が社会に出たときに実際に見た日本は違っていました。

中小企業の40歳以上の人に「俺は新卒で入ってずっとこの会社にいる」という人は1人もいませんでした。
自分の教育係の先輩社員も前は電気屋で働いていたと言うことでした。

自分は学生時代、終身雇用というのが良い世の中だという感覚で過ごしましたし、当然同じ仕事を長くやるのが良いという価値観を持っています。
ところが、自分は就職氷河期ながらなんとか大学時代の専門分野に関連する用具を売る営業職に新卒の4月から入れたのですが、情けないことにその会社をすぐにやめてしまいました。一応、正社員ということで入ったのですが、雇用保険等を準備する前にやめてしまいました。
ただ、中小企業の営業職で「自分達の売り上げがないと会社というものは成立しないんだな」ということを学ぶことはできました。

とは言え、もう大学を卒業したからには仕事をしないといけません。
やむを得ず派遣社員をやることにし、理系の技術職・研究職専門の派遣会社に登録しました。

自分ははじめに派遣社員として大手ゼネコンの清水建設の研究開発部門で勤務しました。大手のゼネコンの研究開発部門なので、各チームのリーダークラスの人は東京大学等の特定の国立大学の博士課程を修了した人ばかりでした。

所属した部署では、有機資源や微生物を扱った研究をしていました。自分の大学時代の専門分野と合っている内容の研究の部署です。大学時代の専門分野の内容の研究に関わることができてとてもうれしかったです。自分と同じ派遣会社から派遣されて来た人は自分の前にはおらず、自分がこの会社からの初めての派遣社員でした。ゼネコンでは土壌の改良等はよくある研究なので、微生物を使った研究も行われます。この部署の研究は、有機資源を原料として微生物を用いて燃料ガスに変換する研究で、基礎研究というよりは、実用化を目的としたものでした。

部署としては実験室での実験以外に、小規模の試験工場のスケールでの試験も行っており、北海道や岩手県、千葉県に小規模の試験工場がありましたが、自分はそちらには出張等はせず、東京都内の技術研究所で働きました。

実験室スケールでも工場のような想定をした装置を運転しており、その装置の管理等をしました。

特に残業等が多かったということはないですが、それでも大学を卒業したばかりの自分にとっては大変で、正直言って気分的な面等で余裕はなかったという感じでした。

その後にも、同じ派遣会社からの派遣で別の派遣先で勤務しました。東京大学の生産技術研究所というところがあり、そこの研究室での勤務でした。

研究全体の概要としては、前の職場と同じような内容で、やはり有機資源の活用の研究ですが、自分のその中で役割は違っていました。ここでは自分は膜や蒸留を用いた物質の分離を担当しました。また、この職場では実験室スケールの実験だけでなく、小規模の試験工場へも出張しました。この職場に関連した試験工場はベトナムや長野県、千葉県にありましたが、自分はこの内の千葉県の試験工場に定期的に行きました。この千葉県のプロジェクトは農林水産省の受託研究で、他の研究機関と連携して実用化を目的として試験を行いました。

研究室は、化学工学の分野で研究室で、直属の上司の他に助手の研究者がいました。私立大学の学部生や修士課程の学生を外研生として受け入れたり、アルバイトを雇ったりしていました。自分のような派遣社員は初めは他におらず、ここでも自分がこの派遣会社からの初めての派遣社員でした。実験室での実験や試験工場での試験で、装置を動かしたり、それらのサンプルを分析したりしました。また、データを整理したり、上司に提出するレポートを書いたりしました。

派遣社員時代は2つの職場とも、有機資源の活用の研究開発に携わりました。派遣社員ではありましたが、大学時代の専門分野の研究に関わることができたところは良かったところでした。

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