怒る人の悲しみを想う
「まったく、何なのよ」
年配の女性が怒っていた。
歯科医院の待合室。
私は子供二人を連れてきていた。
15時ちょうどの予定。私たちは5分前に入室した。
待合室には女性がひとり。
15時になって呼ばれたのはうちも息子たちだった。
女性は先を越されたと感じたのだろうか。
「15時過ぎてるじゃない」
「もうこの歯医者はやめようかしら」
「なんで時間通りに始まらないの」etc…
小さな、だけど私に聞こえる程度の声で。
もしかしたら、受付をしていないのだろうか。
そう思って、受付に聞きに行くと、そうではなかった。
診療内容の都合で、順番が前後したとのこと。
そうこうしているうちに、女性は呼ばれて診察室に消えていった。
彼女は自分がないがしろにされたと思って、悲しくなってしまったのだろうか。そして、それが怒りに変わってしまった。
それは分かるのだけれど、やはり良い気分はしない。
怒りを周りにぶつけたところで、彼女は癒されてないだろう。
けれども、そうしないといられなかった。
ふと、思い出したことがある。
元日の朝だった。
いつもの朝と同様に、けれど、新年の新しい気持ちで長男と愛犬の散歩をしていた。
知っている人でもそうでない人でも、すれ違えば「おはようございます」とあいさつする。
「おはようございます」と返す人、会釈だけの人、無視する人もいる。
けれどもこの日は初めて「うるさい!」と言われた。
初めて見かけた人だった。
私と長男は顔を見合わせた。
びっくりして。
元日の朝、初日の出がまさに上がろうとしていた。
新しい年が予感される清々しい朝。
そんな朝の散歩中、見ず知らずの私たちに「うるさい」というその人は、どんな状況でどんな気持ちだったのだろう。
その時と重なった。
彼女の、そして元日の朝に出会ったその人の悲しみは予想できないけれど、悲しみが癒されるように。
そして、幸せな気持ちになれますように。
そう心の中で合掌して、歯科医院を後にした。