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ライフワークだと思っていたのに-①

【学位を取得するために】
私は10年ほど前まで15年間、抗体製造メーカーで研究員をしていました。その頃まで、私は研究職がライフワークだと思っていたのです。父の反対にあい大学院に行かずに就職したのですが、いずれは企業ではなく大学に就職したいと思っていました。理系の研究分野では博士号を持っていないと教員になるのは難しいので、まず修士号取得を目指しました。

修士号まで持っていれば、会社を辞めても、大学でアシスタントをしながら博士号を取得することもできると考えたのです。そのために、大学院進学に必要な費用として、200万円ほど貯め、ここで社長に直談判に行きました。内容は「大学院に行きたいので、2年休職するか、退職したい。」というものでした。

ところが、社長から「仕事をしながら行ったらいい。」という思いがけない提案がありました。そういう例を作ってもいいと考えていたのだそうです。その頃、いくつかの大学と共同研究していたので、話をしてみると言っていただき、力が抜けたのを覚えています。辞める覚悟で社長室のドアを叩いたのですから。

「だったらもっと早く大学院に行けたのに…」と思いましたが、実は、このタイミングに意味がありました。ちょうど私の共同研究先が、新しく大学院を創設し、社会人大学院生を受け入れるタイミングだったのです。その大学へなら車で通うことができました。講義は平日の18時から90分を二コマ。ここから私の2足の草鞋(わらじ)生活が始まりました。

女性研究者とビーカー


【修士号を取得する】
平日は、昼間は会社で実験・研究、夜は大学で講義を受け、土日は大学の研究室かデータのまとめと論文作成、という生活が始まりました。平日の大学の講義は毎日ではなく1週間に2~3日でしたが、17時まで仕事をしてそのまま大学に向かい、18時~21時まで講義を受け帰ってきました。車通学だったので、通学時間の片道40分間も気が抜けません。

私としてはかなり忙しかったのですが、この2年間が辛かったかというと、そんなことはありませんでした。もちろん、結果が出なくて地団駄を踏んだときや、頑張って書いた英語の論文を、一行目しか読んでもらえず「全文書き直し」と返されたときは「ちくしょー」と思ったりもしましたが、全体的には良い思い出となっています。

修士課程に通う2年間は、国際学会での口頭発表や、初めて書いた英語の論文が研究雑誌に載るという体験もでき、一番充実していた頃かもしれません。単位も取れ、修士号取得がほぼ決まった頃、それまで修士課程しかなかったこの大学院に、博士課程も作られることになり、教授から第一期生で入学しないかという提案をいただきました。

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