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美術の場よ、なぜそこに

後輩の調査の手伝いで青森へ行った感想をまとめておきたい。前回は京都の文脈の巨大さにどうにか結びつけたけど、今回はもう少し雑感で。月に2回はこっちのマガジンを更新したいから、なるべくさらさら書いていく術を身につけたいと思っている。




十和田市現代美術館

幸か不幸かカメラがない。iPhoneのカメラで撮影していた分、歩き回ることには集中できた。
立ち入り禁止か怪しい外部空間も含めて見て回った結果、この建築を構成するシンプルな要素たち(ボックス/塔/チューブ/窓/芝)のコンポジションがたくさん集まった。
相当大きな模型で検討したらこういう作品が出来上がるんだろうと思う。芝生の緑色は美術館と既存都市の間の汽水域のようで、見え隠れの中を歩き回る体験も、その果てに屋上から見る、敷地の内外が混ざる空間構成もとても都市的だった。


思うままに芝生を歩き回るのに比べて、チューブ状の空間は散策的とは違う体験だった。気分としては、飾りのハンドルを握りながらも実際は牽引されている遊園地の乗り物に似ている。みんな同じ景色を見つけてるだろうしな、と思うとカメラも弾まない。
ガラスが嵌まって出られない庭は、むしろ枯山水のような聖域に見える。だとしたらチューブからの視点からを追求するのもやりがいだったんじゃないだろうか。設計のいきさつが気になる。


市庁舎まで歩くと、美術館のオマージュらしきバス停が見つかる。バス停らしいポーラスなつくりは、美術館での自分のもやもやを解消する素直な空間だった。

そのさらに奥にある病院の一筋に伸びた廊下のストイックさは、妙に痛快な強烈さがあって、美術館の立ち方とはお互いに引き立て合っていた。地上レベルの視線の抜けが気持ちよくて、これはこれで都市に浸透していく建築の解答例にも思える。

反対に進むととわふるが見えてくる。
都市との関わり合いに対する解き方としてはかなり別解で、ここでは体の動きは何にも拘束されない。
その分、自分の身体が都市へ放つ視線に没入できるのが新しい(もちろん建築が視線の向きを拘束してしまっているんだけど)。美術館とは、敷地の内外がどこかひっくり返っている印象。

中に入ってみると、看板建築の要領で作られた内部の勾配天井のほかはこれといって不思議なことは起きていない。こんなに体験的な建築がどうやってコンペに勝ったのかこそ不思議に感じた。


(名画の庭に行ったときに「空が遠すぎて空間に見えない」ということを書いたけど、このとき曇っていた分曇りすら大きな天井として空に見えた)


青森県立美術館

大作、名作、難解、というイメージが先行して、辿り着くまでにその思想をもう一度調べ尽くそうとしていた。最終的には「力作だなあ」という印象に着地した。
白いボックスだけを設計したかのように見せている分、茶色い「ハッタリの大地」の大きな脈動があって、建築のスケールは軽々と超えて眼前に現れた。

とはいえ、大地に「かぶさる」ボックスというテーゼに見方を拘束されてしまって、それと矛盾している場所が常に気になっていた。2つのボリュームが癒着している場所を見続けるうちに、時折空間が単純に2色に塗り分けられて見えた。


コンセプトはそれが明快なほど、受け手の脳内にはそれが完全に達成されたイデアのような姿を浮かばせる。その結果、完成した建築全体はコンセプトのハッタリに見えて、力技でできているほど力作と呼ばれるのかもしれない。
建築を手段に陥れず、純粋な名作を生むために手に取られた武器がフラジャイルコンセプトなのかと妄想するとしっくりくる。どのみち、その代謝の良さは設計者としてトップランナーたる所以だと思う。

コンセプトの再現度で言えば、このスリリングな入口が痛烈ヒットだった。この写真を見ていると、この建築はファンズワース邸の再来になっていたのかもしれない、と頭をよぎる。この設計における力点は、ディテールの不在というディテールの追求にあったのかもしれない。

コンセプトが事前に共有されていなくても、典型的な美術館に通い慣れてデザインに精通した人には「土着性の象徴としての茶色」という思想は伝わりそうに思えた。デザインを進めるときに依拠するべきは、作り手オリジナルのコンセプト以上に、幅広い受け手が共感する集合的な感覚なのかもしれない。

もしかしたら、プロダクトデザインのように、何をとっかかりにしているのか我々には想像できないような領域で行われているのは「印象」の擦り合わせと統合なのかと想像したりもする。



八戸市美術館

メインの調査場所として数日間滞在して、instagramにも一足先にまとめている。最初の印象は原型をとどめていないのが実際のところだけど、数日間を通じてカーテンの存在に目が引かれていまことは忘れがたい。県立美術館でインスパイアされた「ディテールなきディテール」的な状態がジャイアントルームに溢れかえっていて、その代表がカーテンだと思えた。

材と材の間を結べば必ずディテールが生じる。たとえば家屋の下端を地面とガチガチに結び付けたのがべた基礎で、強すぎる結び方はあそびを許さず、地面に対して過剰に支配的になる。天井と床をほどよく結びつけたのが和室の柱で、床で繰り広げられる行動に対してある程度の解釈の幅を許してきた。西洋の柱廊もそうかもしれない。

八戸市美術館のアイデンティティであるこのジャイアントルームでは、受付カウンターやロッカーさえ可動式になっている。ほとんどの什器は足元のストッパーで一時的に「止まっている」状態に過ぎず、自分も調査の途中、テーブルや展示の位置が少し動いたのを見た。
そんな風にエレメント全体が漂流した設計はどこか不安定にも見えるけど、一時的な状態ではなく、可能性というメタな存在のために本気で部屋を捧げた姿だと捉えたい。変容することがこの部屋を空間たらしめて、八戸美術館自体を特徴づけている。

これが一般的な多目的ホールだと、色々な設備がいちいち片付けられては運び込まれてばらばらなイベントが準備される。
特注の家具やスタッフの衣装など、この空間の主要なエレメントの色は床と同じマットグレーに揃っている。おかげでそれぞれの配列は「並べ替え」のような連なりを帯び、空間には新たなパターンへの予感が漂っていた。県立美術館の茶色が土着の色なら、コンクリートのグレーはその上に育った文化の象徴になるかもしれない。


設計者の腕の見せ所として、もう少し床について考えたい。


あえて主題をずらしてみる。アクションゲームでは、難しいものほど「床」が取り沙汰されるように思う。安全な床はどこか、崩れる床はどこか、滑る床はどこか、という風に、プレイヤーと床は常に接し続けているからこそ、「壁」とかよりも仕掛けを埋め込みやすいんだろう。

この空間では、数少ない不動のものである床に吹き出し口や点字ブロックのような凸凹がインストールされている。少しだけ仕掛けのある床だからこそ、使い手との間に駆け引きが成立しているのがこの空間だとも解釈できる。
「創作の場」であるこの部屋の床がもしツルツルで無表情であれば、この場のもつ空気感はかなり体育館に近づいて、ゲームだったら大半の人が走り去るような場になっていたと思う。設備上必然的に埋め込まれるものではあれど、結果的にここは「使ってもらう場所」としての表情をしているし、その表情は既存のどの施設にも似ていない。


実際、ゲームは3D化すると方向感覚が掴みにくくなるものらしい。「マリオオデッセイ」の帽子投げや3Dカービィのホバリングはそれを克服させる役割があると聞いたことがある。少なくともキャラクターが人間に近い限り、床の位置をプレイヤーが把握しないとゲームが成立しない。このことはもう少し温めてまたまとめたい。



動的な状態そのものが設計されたようなこの建築を振り返ると、永久所蔵の展示に大半の面積を割いていた十和田は本当に美術の場所たりえているのか、ということに触れざるを得なくなってくる。竣工当時と今でさえ「現代」観は変わっているだろうから、アートの歴史において文脈的で、地域の人たちに直接資しているのは八戸のほうに思える。少なくともどんなにアートもノイズのなか生まれることを明るみに出した分進歩している。




最後に

3つの美術館はそれぞれバラバラのようで、読みほぐすうちにいつの間にか「制限」的なキーワードを少しだけ携えていた。

美術館という何が起こるか分かりそうで分からない容器だからこそ、竣工時のデザインでどこまでそれを制限してしまうかは本来問題になる。とはいえそんな問いをスルーして、無難な答えとしてのホワイトキューブが簡単に通用しているのが今の大都市だと思う。

県立美術館の茶色は「青森であること」がここには付きまとうと腹をくくったデザインだし、八戸のやり方は、今後も都市として発展し続けるというビジョンのもとにしか実現しない。
一方、十和田のちょっと窮屈なやり方は、今後の変化すらも限定してしまいそうで、都内の私有のギャラリーでも成立しそうに見える。



宿泊棟まで備わっているACACも今回回ったうえで、大都市優位な資本主義は美術館のネットワークにヒエラルキーを生み出していると感じた。すべての子どもに同じ教育を提供する学校などとは違い、地方にある美術館は「そこにある意味」も問われているらしい。

今回、自分がずっとYCAMに行きたいと思っていた理由もなんとなく分かった。それもまた、「なぜ山口に?」という素朴な疑問に基づいていたような気がする。美術館同士のネットワークをなぞれば、自分の視座はより高められそうに思える。

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