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何かの専門家になることを手放し、「私」として生きる事を決意した【前編】

仰々しいタイトルですが(笑)

今日、凄ーくいい発見があったんです。それをいてもたってもいられなくて、長文になっても読んでもらえる人がいたらいいなって思って綴ります。

話を整理します。

一言でいうと私はずっと苦しんできました。

何に?というと、「尖った専門家になれないこと」です。

それが今日、パ―――っと雲一つない空みたいに突然晴れたんです。


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小学校3年生で声優を目指し、18歳で憧れの養成所に入ることが出来た私。それから養成所や私塾、事務所を転々としながら、20代後半で念願の声優の仕事を貰うわけですが、

ストレスが多く体を壊しました。

のちに私がHSPだと知り、あの時知っていたらな・・・と思っているこの頃です。

※HSPとは、「ハイリー・センシティブ・パーソン」の略で、一言でいうと「繊細な人」

体を壊しても、やりたい世界で生きていきたいと思っていた私は、胃薬を飲みながら(28歳で胃カメラも飲んだけど)だましだまし続けていました。

声優時代から「教えるのが上手」と言われて、私自身も教える事が好きだから、そういう事で仕事にならないかな~と探して、オンラインでフリーの講師を始めることにしました。

ちょうど本田健さんの本を読んで触発されたのを覚えています。

細かい表現は忘れてしまったのだけど、

「パン職人だからと言って、パン屋を開くだけじゃなくて色々な道がある」

みたいな事を書いてあり、それを自分に置き換えました。

「声優」として表舞台に立たなくても

「演出」「教える」「マネージャー」「声優雑誌」など、色々と道があるんだなって。

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そこで様々な生徒さんの指導をしているうちにあることに気が付きます。

それは「滑舌が気になる」「話し方を改善したい」

そうオーダーされて指導するのですが、どうもテクニックを教える事は気が乗らず、気が付くと生徒さんを励ますことが私のやりがいになっていました。

本人が気が付いていないキラッと光る個性や長所を見つけると、それが海岸で見つけた美しい貝殻や、道で見つけた可憐な花のように感じて、宝物を見つけたみたいにワクワクしちゃうんです。


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あるとき、「元声優って説得力あるから、それを武器に話し方講師としてやっていったらいい」と言われて「そんなもんなのかな」なんて特に気にせずそうしてみました。

声優として生きていこうと思って過ごした日々は無駄ではなかったけれど、苦い思いをたくさんした日々でしたから、今更声優を武器に・・・と言われても実はピンと来ていなかったんです。

演じる事は楽しかったけど、「声を納品する」という事が理解できておらず、それが仕事に繋がらなかったんだなって思います。


だから、そこからは「どうしたら仕事にできるか」という事に意識が向きました。

行動力が私のウリでしたから・・・というか、それ以外本当に何もないんです。意識は向いたのですが、あまりうまくいかず薄曇りのような日々がずっと続きました。尖った専門家になれない自分に、いつも落ち込んでいました。多分、4、5年は続いていましたね。

そんな私にも変化の兆しがありました。


キッカケはYouTubeチャレンジでした。

2020年は365本の動画をアップする!というチャレンジを今も続けています。「話し方について」「声について」「伝え方について」など、伝えられそうなことはあるのに、自然と私が発信していることは

「人生をよりよく生きていくための発信」になっていました。

毎日毎日動画を撮ってて、

「どうしたら元気になれるかな」

「どうしたら笑顔になってもらえるかな」

そう思いながら重ねて200本。チャンネル登録100名突破しました。

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そうしたら100名目の方からすごくあったかいメッセージを貰えて。

とても嬉しかったんです。

ときどきドキッとするコメントもあるけど

こうして誰かの役に立てたりすることって嬉しいなあって。

YouTubeチャレンジ始めてから無駄遣いも減りました。

ストレスを発散しなくてよくなったからだと思います。

喋ることがとことん好きなんだなあって、改めて気づかせてもらいました。

「誰かに頼まれているの?」「何かの課題?」

こういう質問をされます。

一見すると無駄な事ですよね(笑)

そんなことに毎日何時間も投下しているわけなので、逆の立場なら私も聴くと思う(笑)



改めて思うのは、こうやってもんもんしている時期は無駄じゃないなって。

それ単体で見ると「点」なのだけど、あるときその点が「線」に変わるときがくる。それが今日の閃きだったんです。

「そうだ!私は話し方講師として尖るのを辞めよう」って。

何かに尖ることに執着していたけど、お百姓さんのように生きたいって前から思っていたんです。

お百姓っていう意味は「百の仕事」だそうです。

春になるとタネをまき、収穫して作物が落ち着くときには機織りをしたり、縄をなって春先に使う道具を準備したり。

晴耕雨読っていう言葉も好きです。

晴れたら耕して、雨が降ったら家で本を読む。

想像しただけで何て無理のない生き方だろう。


現代風に言えば「サステナブルな人生」です。

テクノロジーの進化によって私たちはどこにいても繋がれるようになりました。昔のお百姓さんと今のお百姓さん、多分全然違くって。

やりたいことを好きなだけ、テクノロジーを活用して実現できちゃう、凄くいい時代になった。思うことを山奥だろうが都会だろうが、どこにいても発信できて、スマホ1つで色々な事が叶う。


だからこそです。

多様化する社会では、「どう生きたいか」「どう在りたいか」がとても大切だと考えています。

でも私たちは一定のルールに従って生きることに慣れてしまいました。

沢山稼いで、消費して経済回して、旅行に行ったり美味しいものをたらふく食べる。貯金は二の次。お洋服も次々に買ってはタンスの肥やしにする。必要かはわからないけど、心配だから資格を取っておく。冷蔵庫でしわくちゃになった野菜を、チクッと心を痛めながら捨てる。これ全部私です。


大切なことは全部自分が知っている。

この大原則に改めて気が付いたとき、

3年前に熱心にやっていたヨガとつながりました。

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後編に続きます!

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