【恋ではなく愛で】INFJ/HSPの25歳女、友情と恋愛の狭間について考える
みなさま、こんにちは。
わくわこ です。
寒さのせいか体調を崩してしまい、しばしお休みしておりました。
今はすっかり元気ですが、「お布団から出たくない病」は悪化の一途をたどっています。
人間ってなぜ冬眠しないんでしょう…
そんな冗談はさておき。
最近私は、アマプラで一挙配信された『ハリーポッター』シリーズを数日かけて一気見してしまい、無事魔法の世界に浸っております。
今回は、そんな『ハリーポッター』の映画の中で印象的だったシーンについて、お話ししてみようと思います。
多少のネタバレを含みます。
そして原作すら読んでいない私自身の勝手な解釈で話を進めていますので、お読みになる際はお気をつけください。
ハリーとハーマイオニーの関係性
実は『ハリーポッター』シリーズの映画は今回が初見ではなく、小学生くらいのときに一通り観ています。
当時はストーリーや人間関係が把握しきれなかったり、そもそも記憶が曖昧な部分が多かったので大人になった今もう一度観返してみたのですが、初めて観たときとはだいぶ違う印象を受けました。
当時はただ漠然と「魔法ってすげー」くらいの感想しか持ち得なかったのですが、改めて観るとファンタジー的に見応えがあるのはもちろんのこと、それぞれのキャラクターのリアルな人間性も上手く描かれていて、本当に面白いんですよね。
そして今回、シリーズすべてを一通り観返して最も印象的だったのが、
『死の秘宝Part1』の、ハリーとハーマイオニーがラジオで流れる曲に合わせて踊るシーンです。
多分「そこ?!」と感じる方も多いと思いますが、私はこのシーンがいちばん心に刺さりました。
なんですかね、上手く言葉で説明できないのですが、シリーズ全編を通じてハリーとハーマイオニーの間には「友情を超えた愛」みたいなものが見えて、でもそれはいわゆる恋愛感情とは全くの別物で……そんな二人の関係性がすごく素敵だなぁと思うのです。
ロンを失ってしまって悲しみの淵にいるふたりが、有り合わせの音楽に身を任せてひと時の希望を見出すあのシーンは、二人のそういう関係性を最大限に表していると感じて、私はすごく好きでした。
が、驚くことにSNSを見ると、あのシーンに対する意見は賛否両論のようで。
否定的というほどでもないですが、「あのシーン何のためにあるん??」みたいな意見も多いらしく、地上波で放送されるときはカットされることもあるんだとか。
しつこいようですが私はこのシーンがシリーズ全編を通してダントツといっても過言ではないくらいお気に入りなので、その温度差にビックリ仰天したのでした。
男女間の友情ってアリ?ナシ?
別にハリーとハーマイオニーが躍るシーンが好きだろうが嫌いだろうが、当然そこに正解なんてものはありません。
ここからは非常に勝手なる妄想ですが、男女間の友情というものをどう考えているかによって、このシーンに対する感じ方が変わってくるのでは?というのが私の考察です。
つまり「男女で完全に潔白な友情を育むなんて、どう考えても難しいでしょ」という意見の人からしたら、やはりあのシーンは謎めいて見えるのだと思います。
恋人以外とのスキンシップの文化がない日本では特にそうでしょうね。
ハーマイオニーはロンが好きで、ハリーはジニーが好きで、それが明白に描かれているのにそのうえで何故ハリーとハーマイオニーをあんなに密着させ躍らせるのか?
友人同士、励まし合う方法は他にいくらでもあるのになんでわざわざダンス?何を表現するためのシーンなの?というふうに不思議に思うのかもしれません。
ただ私はむしろあのシーンで、ハリーとハーマイオニーが「絶対的に恋愛には発展しない、でも他には代えられない特別な関係」だという確信的なものを感じました。
どこがと聞かれても上手く説明はできないのですが……。
みなさまはどう感じられましたか?
大きな意味での「愛」って素敵だ
あのシーンが実際に何を表現するためのものだったのか。
その解釈は人それぞれで当然です。観た人が感じた気持ちがそのまま正解でいいのだと思います。
なのでここでは独自の解釈のままつき進みますが、良い意味で「友だち以上恋人未満の関係」ってめっちゃいいな……というのが、今回ハリポタシリーズ全編を見た私の最大の感想です(我ながら「そこ?」という気はする)。
先述した通り、基本的に身体で触れ合ってコミュニケーションをとる習慣があまりない日本では「ハグや軽いキスをする友達」みたいな存在ってほぼ皆無ですよね。
これは異性だけでなく同性の友達でもそうだと思います。私は最後に人と抱き合ったのがいつかも思い出せません。
ただ、私はそういうコミュニケーションにすごく憧れています。
独り身の私は、ふと人肌が恋しくなって、誰かと優しく抱き合いたいと思うことがけっこうあるのですが、それは恋人がほしいという意味ではないのです。
下心なく、お互いに大きな愛情だけを求めて触れ合える存在がいればいいのになぁ、としょっちゅう思います。
触れ合う="そういう関係"のようになってしまうのがどうにも窮屈で、寂しいんですよね。これって誰もが少なからず考えることなのか、それとも特殊な考え方なんでしょうか?
恋人ではない。でも友達という一言じゃ表しきれない。お互いに何を求めるでもなく、愛情を分かち合い、寂しさを埋め合う。
そんな存在に焦がれる私には、ハリーとハーマイオニーの関係性がとても輝いて見えたのでした。
というわけで、今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
恋よりも愛を求めるみなさまへ、愛をこめて。
わくわこ
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