【私に名前をください】INFJ / HSPの25歳女、INFJという型を見つけた喜びを語る
みなさま、こんにちは。
わくわこ です。
早いもので、2023年も残すところあと1ヶ月弱となりましたね。
私としては、ひとり暮らしを始め、仕事を変え、ブログを始め……とかなり中身の濃い1年でした。
みなさまはいかがでしたか?
さて、今回のテーマは「INFJという型にはまる自由」について。
私なりの考えを書いてみます。
INFJがブログに多い理由
「INFJの人口は世界的に少ない」らしいということはご存じの方も多いかと思います。
にもかかわらず、ブログのような自己表現の場でINFJの方を見かける機会は意外と多いような気がしませんか?
noteでも「INFJ」で検索すると、約5,000件の記事がヒット。これは他のMBTIの記事数と比べてもかなり多い方です。
なぜ、このような現象が起きるのか。
その理由として、INFJの人は「自分はINFJだ」という自覚が強い、ということが考えられるのではないかと思います。
具体的にお話ししていきますね。
微妙に「変わり者」であることの自覚
正直、各MBTIの人口割合がどのようにして調査されているのかわからないので「INFJが極めて少ない」という情報も鵜呑みにしてはいけないかもしれません。
しかしINFJの人は実際の生活の中で、同士の少なさをひしひしと感じているのではないでしょうか。
私の場合は家族・友人との関わり合いや何気ない会話の中で「あれ?自分だけ感覚が違うかも」と思うことが少なくなかったです。
かといってコミュニケーションが滞るほどのことでもないし、合わせようと思えばいくらでも周りに合わせられる。
たまに思い切って本音を話してみても、たいてい「?」な空気になって気まずくなる。
そんなこんなで、自分の中にくすぶる違和感を上手く整理できないまま、日々を過ごしていました。
そういう、周りの人との微妙なすれ違いの中で「自分とは何者なのか」という漠然とした葛藤を抱えながら生きてきた人間にとって、MBTI診断はものすごく興味をそそられるものだと思います。
多分、特性によっては「性格診断?なにそれ?興味なーい」という人が多いMBTIもあるかもしれません。
興味本位で診断してみたとしても、「ふーん」で終わる人とか。
ですがINFJは違います(多分)。
少なくとも私にとっては、半信半疑ながらも、試さずにはいられませんでした。
そして出てきた結果があまりにも自分そのもの過ぎて唖然としたのです。
これまで自分がなんとなーく抱えていた違和感の正体がようやくわかったような気がしました。
「一口に『感覚が変』なわけではなく、そういう特性なのだ」という事実は私に大きな安心感をもたらしてくれました。
そして安心を通り過ぎると、今度は「仲間探し」をしたくなります。
「16特性のうちのひとつということは、私のこの、上手く言い表せない感覚を同じように持っている人がいるはず!」という期待が生まれるのです。
そしてINFJの人のブログやなんかを発見して読んでみると、もう、嬉しくてたまりません。
書いてあることすべてに頭が吹っ飛びそうな勢いでうなずいて、固い握手をしたくなります。
「やっぱりひとりじゃなかった!」って、ホッとするんですよね。
で、他のINFJにも同じように安心感を受け取ってほしい。文字を書くのは嫌いじゃないし、私もやってみようかな。ってな具合で、INFJの記事が増えていくというわけです……という、私の見解です。
個人的には、INFJさんの記事がたくさんあるのは本当にありがたい!
「同じ気持ち!」と思える人がいるのって、こんなに嬉しいものなんですね。
自分の「違和感」に名前がついたことへの喜び
MBTI診断の結果を読んで果てしない感動を覚えたINFJさんは多いと思います。
先述のとおり、自分の中にあった「上手く言えない違和感」の正体がやっと見えたような気分になるのですよね。
この「上手く言えない違和感」ってやつが思いの外厄介で、私にとっては大きな悩みの種でした。
「なんか違う」「なんかわからない」「なんかわかってもらえない」と、こういうモヤモヤが自分の中でずっと渦を巻いているのです。
大きな実害があるわけではない。でもだからこそ、このモヤモヤをどう処理して、どう扱っていけばいいのかがまるでわかりません。
傍から見たら普通に周りに馴染めている感じでふるまってしまうので、その違和感は自分以外の誰も気づかない。
誰にも相談できないし、そもそも「はい、では相談してみてください」といわれたところで上手く言えないのだから相談にならない。
別に、だから何というわけではないです。どうってことないんですけど「なんか嫌」なんです。とにもかくにも「なんか嫌」。
だから私にとって、MBTIはまさに救世主でした。
「上手く言えない違和感」だったものが「INFJの特性」と説明できるようになったのは、本当に本当に大きなことだったのです。
だから、私のブログを読んで「自分ももしかしたらINFJかも」とか「これも私の特性だったんだ!」みたいな気づきを得られる人がいたら、それはとても嬉しいことだと感じます。
他人に対して何かアドバイスをしたいとか、私という人間を見てほしいとかそういうことではなく、ただただこの思いに共感してくれる人がいたらいいな~という気持ちで記事を書いています。
型にはめられる安心感
多様性が歌われるようになった今日、型にはめられない自由が尊重されるべきなのはもちろんですが、それと同じくらい型にはまる自由も大事にしたいなぁと思います。
自分をラベリングすることで得られる安心感ってのもあるわけです。私は自分がINFJであることを自覚したとき、その恩恵を受けました。
「自分はINFJだ」と思うことでそこはかとない安心感を感じる方が、他にもいらっしゃるんではなかろうか。
そんな思いから、この記事を書いてみたのでした。
というわけで、今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
自分の名前を探すみなさまへ、愛をこめて。
わくわこ
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