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そろぼちお引っ越し。

オスロでの留学生活が始まって早10ヶ月半が経ち、大学の授業も残すところあと1コマ。

一限からの帰り道、トラムに揺られながら外の景色を眺めていたら、なんか、なんだか、とっても寂しく切なくなった。
なんの変哲もない水色のトラムで、月曜日の朝から泣いてる日本人。
どないやねん。笑

耳から流れてくる音楽は、背中をさすってくれているようで、隣で一緒に歩いてくれているようで、でも余計に泣かせにきているようで、もはや敵か味方か分からない。。。

アイスランドで地球のまるさを感じた日


なんでこんな気持ちになるんだろう〜とぐるぐる考えてみた時、頭に浮かんだことは二つ。


一つ目は、ここで出会った人たちとの繋がり。
会おうと思ったら会いにいける距離にいる友だちは、ひとたび日本に帰れば、時差も距離も離れ離れになってしまう。
次はいつ会えるんだろう、その時自分はどこで何をしているんだろう。生きてるうちにあと数回しか会えないかもしれないなんて、考えるだけで寂しすぎる。

でも、切ないなぁと思う傍ら、少し嬉しくなっている自分もいるんよね。

この一年、ずっと誰かと会ったり話したりしていたわけでも、社交の場に出かけていたわけでもない。むしろ一人でいる時間の方が圧倒的に長かった。たぶん人生で一番「ひとり」だった。

私はやっぱり人に興味が持てないのかも、もっといろんな場に出ていろんな繋がりを増やしていくべきなのかも、自分が部屋でぐうたらしている間に大事な出会いを逃してるのかも…って思うことももちろんあった。

でもね、片手で数えられるほどの人数だけれど、この一年で、たった一年で、これからも末長く仲良くできたらいいな〜と思える友だちに出会えたことがほんとにハッピー。

大勢の中に"とりあえずいる"だけで心のシャッターは閉ざして、でもほんとは人恋しくて「見つけてよ〜!」と祈るだけの私から、この人のことをもっと知りたい!と思うと自らドアをノックしに行ける私になった。

やっぱり私は人が好き。
人がいるから、いろんなことをやってみようと思える。
本当はいろんなこと対して冷めている人間なのかもしれない。
でも誰かがいるから、誰かのあたたかさをお裾分けしてもらっているから、日々を愉しく生きられているのだと思う。

「人見知りの人好き」
なんだか矛盾してる言葉だけど、結局はこの言葉に落ち着く。
人は一人では生きていけない。
全く、その通りだあ


愛らぶシナモンロール


二つ目は、今ココ自分のこと。

帰国が迫ってきて、「いつかノルウェー(ヨーロッパ)に住みたい?」と聞かれることが増えた。

答えは I'm not sure.
そんな日々があっても楽しいだろうし、なかったらなかったで、日本で愉快に暮らしてそうだな〜と思う。

もちろん、ここでの生活が今では愛おしいし、あと少しで終わってしまうことは寂しい。
でも、自分のいる環境、周りの人たち、身の回りにあるモノからワクワクを探して見つけてつくっていくことが私のモットーなら、どこに住んだって変わらないはず。
それに、私が好きなのは、20歳のいまの生活をいまの感性で送れていることであり、仕事とか大学院とか、別の時・別の目的で来たらまた違う気持ちになるんじゃないかな〜って思う。

こんなことを友だちにLINEしたら
「今って今しかないよなぁ」
「今を生きよう」
と返信がきた。

そうだよな。

この一年で発見したことの一つは、私が「あったはずの感情がなくなる」ことに対してモヤモヤしがちだということだった。

あの時あんなに頑張れてたのに!
あの時あんなに好きだったのに!
あの時あんなに涙を流したのに!
今ではなーんとも感じないことがある。
それがとても寂しくて、もったいない気がして、悔しくて。。

どんなにホカホカのスープも、ほうっておけばいつしか冷める。
温め直せばええだけやんって言われるかもしれないけど、私が食べたいのは出来立てのあのスープで、電子レンジから出てくるのはまた別もの。
同じレシピで同じように作っても、作る人とか気温とか湿度とか(?)全ての条件が揃うことは二度とない。
一度なくなってしまったら、もう取り戻せないのかも。

なんか〜なんだかな〜〜〜
この一年、「あれ、私○○だったはずなのに…」とモヤモヤすることがたくさんあった。変化を求める自分と変化に怯える自分が一緒の場所で暮らしていけるようにするのがとっても難しくて苦しかった。
変わりたいのに変われない自分、変わりたくないのに変わっていく自分、知らなかった一面が出てくる度に自分への信頼度が下がって、不安になって、たくさん泣いた。


でもねぇ、だんだん
「今を今の等身大で愉しむ」
これでええんよって思えるようになってきた気がするよ。

確かにココにあったはずのものが離れていくのは、やっぱり寂しい。
でも、離れていっているのは自分のほうなんだと気付けた。

意志さえあれば、同じところに居続けることはできるのかもしれない。
でもそれが違うと思うからこそ、自分から離れていっている。
変わらなければ、変わらないんよ。

先週はジャンキーなお菓子の食べ食べ過ぎで闇んだ。笑


あとねぇ、変化は必ずしも一歩通行ではなくて、うねうね曲がりくねって、同じところに戻ってくることもあるんだなと思った。
ただ、同じ景色でも、昔と今では見え方が違う。
それは切ないけど、おもろいことでもある。
結局確かなのは「今ココ自分」だけ。

いつかは今からの地続き。
なくなることはなくて、後に置いて先に進んでみただけ。
そんな気がするなあ!


たぶん夏休み明けくらいの壁。かあいい


あれこれごちごちゃ言いながら、
私はこうして今日も、今の等身大の脳内を切り取ってカタチにしています。

変わるけれど上書き保存はしたくない気持ちを、瞳に映る光景を、今の自分なりにラッピングして、あらゆる場所に置いていっている感じだーね。



一年かけてつくってきたスキの詰まったお部屋と生活は、愛着だらけだし、離れがたいし寂しい!!
でも、このままここに居続けちゃあかん…と思っている自分もいる。
そろぼち、お引っ越しの時です。

- - -
「いつかノルウェー(ヨーロッパ)に住みたい?」
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これもやっぱりわからない。

でも、これからの人生どこかのタイミングで戻ってくることがあれば、どんな暮らしをつくっていくんだろう?っていうワクワクがあるのみって感じです。
今と同じ温度感に戻れないことを悲しむのではなくて、20歳の私があちこちに隠してきた宝箱を見つけて開けて、懐かしいな〜ってニコニコにやにやできたらええなあ。



あとねぇ、これを書いてて思い出したんだけど、
思い返すこと一年前、私は「変化がなさすぎる」日々に息苦しくなって、生まれて初めての心底やみやみモードに突入していたらしい。

今では「変化しすぎている」日々に悩まされてるって??
あの時私からしたら、なんやメリハリあって楽しそうな人生やん、文句言わんと頑張り〜!!ってツッコまれそうな話やでほんま。笑


オスロを発つまであと47日。
幸せと不安定のある日々を、今日もつよく愉しく生きていきます:)

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