【モーニングエッセイ08ただの何者でもないあなたへ】快調と快腸。恐れか快か?
朝のじかんに、浮かんだこと書くというルーティンを始めようと思いつきました。書く時間はまちまちでも、その中身は朝のじかんに決めていきたいと考えています。
流れでここへたどり着いたあなたへ、通勤のじかん、帰宅のじかん、通学のじかん、家事のじかん、休暇のじかん、1日の終わりの寝る前に…など、いろんな時空を超えて何かの灯火になるようなことを書きたいと希望します。
あなたは何者なんだろう?肩書きはいろいろあると思います。代名詞も。
それらは、しっくり馴染んでますか?お気に入りですか?
わたしは、わたしってほんとうは何者なんだろう?と考え続けてます。どんな答えが導き出されても、、、しっくりこないから。
名前さえしっくりきていません。付けられて50年近く経つのに。
あなたはどうですか?
そんなわたしが考えてる最近のことを書きます。
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今月に入ってから、状況から何か変わったわけではないが、とにかく内側から軽やかになってきているのを日に日に実感している。
家の中で片付けないとな…掃除しないとな…と思っているのになかなか手をつけず、長い間放置していたところを毎日少しずつだけど着手していると、見た目では大した変化に見えないかもしれないけど、わたしにとってはそこにある空気感が変わるのがわかるのだ。
ずーっと滞ったままにしていたことについて、部屋のことだけではなく、全てにおいて、滞ったままを長いこと選んでいたんだと思う。
いきなりだけど、わたしは幼稚園前くらいまで、トイレに行くのが嫌でよくお漏らしをしていた。主に大きいほうを(^_^;)
カーテンの影に隠れてモジモジしているうちに漏らしてしまい、よく母にお風呂場でお尻を洗われながら躾として尻叩きの刑に処せられていた(昭和!)躾って、なんで身の美と書くのかわからない…。
語源と由来を調べたら
仏教用語で習慣化を意味するじっけ(習気)が一般に広まる過程でしつけに変化し、作りつけるの意味の動詞、しつける(しつく)と連用形の名詞化したしつけと混同して成立した語。
しつけとは、礼儀作法に限定した武家礼式の用語として生まれた国字。しつけには身体を美しく飾るという意味があり、体「身」に「花」という字も作られた。
うち、父は職人だったし、武家礼式とか言われても…。でもまあもちろん親もそんな由来とか考えもしなかっただろうし、しつけというのは当時は当たり前として横行してたんです。若い人は信じられないかもだけど、ほんとうに竹刀を持ち歩く体育教師とか居たからね!テレビの青春ドラマに感化されたおバカなタイプの大人の典型ですね。
通ってたそろばん教室のオヤジは何度も間違えるとそろばん型の文鎮の角で頭をこづくとか(これはもうそのオヤジのオリジナルだけど)
思い出すとマジ意味わからない美しくない行為が「普通」だった訳です。差別発言とかも普通に大人はしてたな…。だから何も考えないと子供も真似するよね。
話は幾分反れたけど、そのおもらしが何故当時は治らなかったのかなと思うと、
とりあえずトイレが暗くて怖かったのと(当時汲み取り式、廊下の奥の方にあり暗かった)
自分のお腹にあったものを、出すということが、単純に怖かったのだ。
怖いから後回しにしたくて…モジモジしているうちに漏らしてしまう。尻を叩かれて「どうしてあんたは、トイレ行きたいって言わないの!?」と問われても泣くしかなかった。だってそんな気持ちは言語化できなかったから…。怖いって言ったような気もするけど覚えてはいない。
とにかくいろいろプレッシャーだったのか、当時は便秘でもあっていちじく浣腸をされたりいろいろ大変な子供だった。
でもその後は幼稚園や学校という集団生活の中で合わせなくてはならない現実に沿う形でもちろんトイレは自分で行けるようになったし、何がきっかけかわからないけど、とにかく出すほうがスッキリするし気持ち良いということもからだを通して学んだんだと思う。
それは当たり前だけど親のいうことを聞いてそうなった訳でなく自らの生理的な自然の成り行きで、
それを躾と称して制御されていたのはそもそも間違いだと思っている。
おかげさまでわたしは今は快便生活。生活習慣をあらためたおかげもあり前よりもスッキリ快調!
でも実は尻を叩いていた母はその頃からかわからないけど、何十年と自らは頑固な便秘体質なのだ。体質というよりも精神的なことが関与してるとわたしは思ってて、子どもの頃、わたしがお腹の中のものを出すということに得体の知れない恐怖を抱えていたように、
母も何か感情を閉じ込めているんだろうなと思う。
受け取り下手で、素直に受け取れない、受け取ると借りを作るふうに捉えていてお返ししなくては…という考えも強く、喜びの循環のお返しの方向よりも渋々出す…という感じだった。それは子供の時から見てても分かるくらいだった。
そんな自分の母親も含めて、便秘がちな方で見るからに幸せそうで公私共に充実してる人ってあくまでわたしが出会った中にはいない。
お金にも恵まれてるし、仕事も成功してるけど、ひどく愛に飢えていてパートナーシップもうまくいかない…というあるひとは、常に便秘薬がないと生活出来ず、人生で何度も出ないことで救急車で運ばれるくらいだった。
腸が人の感情に関係することや、幸せホルモンが作られることは近年分かってきたことだけど、人生に関わるくらい毎日の重要ミッションであると思ってるし、人生変えたいひとはまず、自分が出してるものや出せないものをきちんと見て感じ、
自分の中で溜めている感情や恐れがないか?ということにトイレの中で(気張らず)向き合うのもいいかもしれない。
ただ出せばいいってことじゃない。
自分が納得いく生き方を出来るかどうか?くらいに、このことは重要だとわたしは捉えてる。
あなたの重要ミッションは今日はもう完了してますか?
今日もスッキリいきたいですね!
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