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「遅いインターネット(先行公開)」#7 「壁」としての民主主義

そしてこうした状況を俯瞰した上で、本書ではもう一度民主主義について考え直してみたい。たしかにあたらしい「境界のない世界」の住人たちが述べるように、この問題はあたらしい(境界のない)世界が拡大して、旧い(境界のある)世界を飲み込むことでしか解決しない。
 しかし残念ながら、今日の民主主義においてこの立場が支持されることはあり得ない。
 そう、問題を履き違えてはいけない。問題はなぜヒラリーはトランプに敗れたのか、なぜブレグジットは成立してしまったのか、ではない。民主主義というゲームは本質的にあたらしい「境界のない世界」を支持できない。ここに問題の本質がある。

 あたらしい「境界のない世界」を受け入れた人たちはついこう考えてしまう。旧い「境界のある」世界の住人たちを説得するべきだと。「壁」をつくることも、EUから離脱することも、あなたたちの生活とプライドを救済することには必ずしもつながらない、むしろ逆効果をもたらすことすら考えられるのだ、と。しかしおそらくこの言葉は届かない。なぜならば、これは問題の本質を履き違えた言葉だからだ。賢く、意識の高いあたらしい(境界のない世界)の住人たちは、トランプの嘘を暴けば旧い(境界のある世界)の住人たちは、自分たちの側につくと考えがちだ。しかし問題の本質は別にある。トランプのアジテーションに嘘と誇張が多いことなど、実のところ誰にでもわかることだ。問題の本質は、にもかかわらず多くの人々が彼を支持していることなのだ。むしろ、こう考えたほうがいいだろう。彼らはトランプのアジテーションを「信じたい」のだ。彼らはトランプが真実を語るから支持しているのではなく、魅力的な嘘を語るからこそ支持しているのだ。

 彼らは信じているのではなく、信じたいのだ。フェイクニュースをロクに検証もせずに拡散する知人に対して説得を試るとき、大抵の場合は論理的にその矛盾を指摘し、証拠をあげてそれが虚偽であることを説明することは効果を上げない。大抵の場合は彼らはこう反論する。「たしかにこの情報自体は間違えているかもしれない。しかし(たとえ虚偽であったとしても)この立場の意見を拡散することは社会にとって意味があることではないか」と。あるいは「たとえこの情報は間違っているかもしれないが、真面目にこの意見を拡散している自分の気持を否定しないでほしい」と。

 誤解しないでほしいが、フェイクニュースの検証や、陰謀論と歴史修正主義の批判が不必要だと述べているのではない。前提としてその努力は不可欠だ。しかしそれだけでは足りないことを指摘しているのだ。フェイクニュースに騙されないように、フィルターバブルに陥らないように、メディアリテラシーを粘り強く啓蒙すべきである。筆者も他の仕事ではこうした運動を微力ながら支援してもいる。しかし、それだけでは補えないものがある。フェイクニュースを人々が信じるのは、それが正確な情報だと判断するからではなく、それを信じたいからだ。フィルターバブルに安住するのは、それに気づかないからではなくそれが心地よいからだ。ほんとうに問題とすべきは、フェイクニュースの偽りとフィターバブルの陥穽(だけ)ではない。むしろそれを望んでしまう欲望のほうなのだ。だから私たちがアプローチしなければいけないのは、彼らの「信じたい」欲望のメカニズムなのだ。

『遅いインターネット』(幻冬舎)2月20日発売予定!
インターネットによって失った未来をインターネットによって取り戻す――
インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げました。しかしその弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例です。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。


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