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「遅いインターネット(先行公開)」#8 民主主義とリベラリズムとの対立

これまで考察してきたように、民主主義はもはや構造上リベラルなものではあり得ない。いま、政治を必要としているのは20世紀の先進国の中流層のうち、グローバル化で没落した「Somewhere」な人々だ。没落を免れたあたらしい「Anywhere」な人々(クリエイティブ・クラス)は既に多くの場合グローバルな市場のプレイヤーとしての自意識をもち、国家の保護を精神的にも経済的にも必要としていない。したがって民主主義国は基本的に排外主義的で、反リベラルな選択に引き寄せられやすくなる。

 たとえば2019年は香港の逃亡犯条例に反対する大規模デモが世界を揺るがせた。1997年のイギリスから中国への「返還」以降、一国二制度を維持し中国における唯一の民主主義が認められた「解放区」としての香港は、変換後中国政府による民主主義の有名無実化を目論む施策に苦しんできた。背景にあるのは、上海や深センといった中国本土沿岸部都市の経済発展だ。これらの都市の発展に酔って、香港は相対的にその経済的な重要性を低下させそのことが中国の香港に対する態度を硬化させた。今回の逃亡犯条例は香港における犯罪者を中国に移送し、中国政府の意志での処断を可能にする条例で、司法の独立権を奪うことで一国二制度の有名無無実化を決定的にすることを意図したものだった。これに対し香港市民は有史以来最大の抗議デモで対抗し、一部都市機能を麻痺させるレベルのデモの長期化によってついに中国政府は行政長キャリー・ラムに逃亡犯条例の撤回を指示した。
 この香港市民たちの成果が意味するものは何か。皮肉な表現を用いれば、中国政府が香港市民に屈服することが可能だったのは、中国が非民主的な国家だからだ。相対的にやや低下したといはいえアジア最大の金融都市香港の機能が長期的に麻痺することと、高まる国際世論の非難は中国政府にとって香港市民に妥協するに足る十分な、そして合理的な理由だった。そして、ここでもし中国が民主主義国家であれば、政府は自分たちが焚き付けた大衆に逆らえずに自民解放軍を出動させて、第二の天安門事件を呼んでいた可能性はゼロではなかったはずだ。皮肉にも、中国は民主主義を採用していなかったがために、香港の民主主義に正しく妥協することができたのだ。
 対してこうしている現在も進行中の戦後補償と歴史認識問題に端を発した韓国と日本とが互いに歩み寄れないのは、どちらも民主主義国家だからだ。そう、どちらもこれ以上関係を悪化させても、国益に資することは一つもないことは理解しているはずだ。しかし、両国の政府が、単に柔軟な姿勢を示して支持率が落ちることを恐れていることは明らかだ。
 誤解しないで欲しいが暗礁に乗り上げた日本やアメリカ、EU諸国の民主主義が中国やシンガポールの開発独裁的な制度に対し劣っていると述べているのではない。前提として、それでも民主主義はもっとも相対的にリスクの低い政治制度だ。しかし、その相対的な優位の程度は下方修正する必要があることを認識した上で民主主義を改良する必要がある。これまで、7回コールドで圧勝することを前提に考えることのできたゲームは、9回裏までの継投を視野に入れなければならなくなっているのだ。

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インターネットによって失った未来をインターネットによって取り戻す――
インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げました。しかしその弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例です。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。


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