そぼろ

「飯の友」の会と「飲まない東京」

 先日、PLANETSCLUB(僕のメディアの読者コミュニティ)のメンバーがプロデュースした「飯の友会〜新米とジビエをとことん楽しむ〜」に行ってきた。端的に言って、最高だった。以下、この文章の前半はまるまる僕のリア充自慢になるのだけど思いっきり自慢したいのでお願いだから読み飛ばさないで欲しい。

 もともとはメンバーの一人(高坂さん)がどこかキッチンスタジオを借りて新米を楽しむイベントをやりたいといい出したことだ。彼女は企画を揉む中で、かの『美味しんぼ』に登場する「飯の友選手権」のことを知って「これだ」と思ったのだという。これはアニメ化もされた『美味しんぼ』初期のエピソードだ。当時(80年代半ば)は日米貿易摩擦が大きく問題化しており農産物、特にコメの輸入自由化は常に日米の争点だった。反米の左派ナショナリストとして知られる原作者の雁屋哲は当然、このコメの輸入自由化に猛反発しており、彼の分身である主人公の山岡士郎に劇中でロビイング活動をさせた。それがこの「飯の友選手権」だ。参加者がお気に入りの「飯の友」をめいめい持ち寄って、みんなでそれを食べ比べながら思う存分白米を楽しむというのがその趣旨で、山岡はこのイベントに(過去のエピソードでなぜか知り合いになっている)政界の実力者「角丸副総理」を招く。日本全国の「飯の友」と炊きたての新米を満喫した角丸副総理は、改めて日本の米食文化の素晴らしさを確認し、輸入自由化反対派に鞍替えする……というのがあらすじだ。そしてこのエピソードに登場する「飯の友会」を自分たちでやってしまおう、というのが今回の趣旨だ。
 それだけでも充分楽しそうなのだけど、そこに山梨で農場を経営する別のメンバー(徳光康平さん)が乗っかった。そういう企画があるならと彼は新米(武川産米のなかでも希少な「農林48号」という品種のお米)と、農場(ROOSTER)で生産している卵、そしてなんと自分が先日撃って仕留めたという鹿肉を提供してくれることになったのだ。

卵

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 当日は約30名のメンバーと、あとなぜかNHK出版の井本光俊さんが(僕の友人であるというだけの理由で)参加した。集まった「飯の友」は、どれも個性的で、そして素晴らしく美味しかった。僕は以前からお気に入りの京都のおかず味噌(わさび風味)をもっていった。
 僕が気に入ったのは、仙台のしそ巻と、のりだった。びっくりしたのはメンバーの中に個人的に所有している土鍋をふたつ持ち込んで、ふっくらとごはんを炊いてみせた人がいたのと、自分専用のバーナーを所有し持ち込んだ「飯の友」(福岡県産のめんたいこ)をその場でざっと炙ってみせた人がいたことだ。そして、僕らは一口ずつ白米と「飯の友」を頬張り、優勝者を決めるために結構真面目に採点した。

かまどごはん

あぶりたらこ

 さすがこういう趣旨のイベントに乗り込んでくるだけのことはあり、ほとんどのメンバーが間に合せのものではなく、本当に普段から自分が食べているお気に入りの「飯の友」を調達して持ってきていた。つまり、普段の日常の生活から日々の自宅での食事にささやかな、でもしっかりとしたこだわりをもっているメンバーが30人集まったのだ。そして、なんというかこういう仲間たちがいることが、とても豊かなことに僕は感じた。
 〆は徳光さんの農場でつくっている卵と、彼が仕留めた鹿肉を使ったそぼろを用いた卵がけそぼろご飯だ。

そぼろ

 これは冗談抜きで、それまで賑やかだった会場が、一瞬静かになるくらいの美味しさだった。食後は持ち寄ったデザート(お気に入りのチーズケーキとかバームクーヘンとか)でコーヒータイムを楽しんだ。「飯の友」と白米をひとつまみづつとはいえ、30口も食べるとかなりお腹いっぱいになっていたけれど、甘いものは別腹だと思って押し込んだ。お腹は正直苦しかったけれど、幸福な倦怠感だった。春になったら絶対に徳光さんの農場に遊びに行こうと誓い合って、その日は解散した。 

バウムクーヘン2

集合写真

 僕は普段はあまり、大勢で食事する場所には行かない。特に酒の席が苦手で、むしろ積極的に避けるようにしている。俗に文壇とか論壇とか言われる世界はものすごく陰湿なコミュニティが多くて、基本的にその場にいない人の欠席裁判で盛り上がっている。大体の場合、そのコミュニティのボスのような存在がいて、取り巻きは機嫌を取るためにそのボスが敵視している人間の悪口を言う。それが時折、TwitterやFacebookに漏れ出して、こいつはみんなそうしているのだから叩いて良いのだという「いじめ」的な空気がつくられていく。
 僕は7、8年前にそんな世界に本当に嫌気が差して人間関係をガラリと変えた。そして同時に酒の席も拒否するようになった。僕がウンザリしたこうした「業界的な」コミュニケーションは半分は出版業界や論壇の体質の問題でそうなっているのだけど、もう半分はこの業界に限らず、この国の社会にはびこる「飲みニケーション」の問題だと思ったからだ。アルコールを入れることで、はじめて「ホンネ」を漏らす。その「ホンネ」を共有していい仲間の「範囲」が確認されて、この場にいる人間は分かっているよな、と同調圧力が作られる。僕は当時から、アルコールをから距離を取ることである程度までは、もっと楽しく大人数でわいわいとご飯が食べられるようになるんじゃないかと思っていた。

食べてるみんな

 しかし、既存の飲食店を舞台にそれをやろうとしても、ちょっとやりづらい。これはお酒を飲む習慣がない人以外にはなかなか分かってもらえないかもしれないけれど、居酒屋という場所は大抵の場合酩酊していないととても騒がしくて、ゴミゴミとしていて、決して居心地のいいものではないし、実はたいていのコース料理の類も飲酒を前提に内容やリズムが設計されているので、お酒を飲まない人間にはちょっとやりづらいところがある。 僕が今回のこの企画(飯の友会)がうまくいったのは、キッチンスタジオを借り、独自のゲームルールを設定して、アルコールを前提としないコミュニケーションをゼロから設計したからだと思うのだ。そして気持ちのいい、そしてこだわりをもった仲間たちとユニークな発想があれば、その場の熱量を上げるのにアルコールの支援は必要としないのだ。(ちなみに、この「飯の友」の会、まったくアルコールが飲まれなかったわけではない。飲まない人が多かったけれど、メンバーの提供した山形の地酒が振る舞われていた。「飯の友」とは同時に「酒の友」でもある。)

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 僕には以前からちょっとした野望がある。それはアルコールを提供しない(前提としない)夜に遊べる場所を東京につくることだ。僕は東京の面白いところは、24時間眠らないところだと思っている。(もちろん、その背景には劣悪な労働環境の問題が常にあり、これはきちんと対応しなければならないが。)しかし、こうした夜に遊べる場所のほとんどが、アルコールを前提としている。「飲み屋」や「バー」だけではない。カラオケボックスもクラブも、客が飲酒することを前提にしているのだ。そしてそのことが、僕はこの街の楽しみ方をすごく狭くしているように思えることがある。
 数年前に完全に夜型のライフスタイルだった頃の僕は、友人たちとよく夜の街を歩いていた。駅前の賑やかなところを、店から店へというのではなく、本当に歩いていた。高田馬場から九段下や、ときにはお台場まで5キロ、10キロといった距離をほんとうに喋りながらノンアルコールで歩いていた。夜の街は昼には見せない顔を見せる。昼の街にはない解放感がある。広い道も人気が少なくて、自分が主役になったかのように思える。すれ違う人の、人生がより垣間見える。ギターを下げて、深夜の1時台に駅と逆方向に向かう人はきっと練習終わりに深夜のアルバイトにいくのだろうと想像する。コンビニの袋を下げて、楽しそうに電話しながら足早で住宅地を進む女性はきっと彼氏の家を尋ねるのだと想像する。このとき、僕らが休憩に使っていたのは主に深夜営業のファミリーレストランとイートインコーナーのあるコンビニエンスストアだった。そして、こういうときにふらっと入れる場所がもっとあれば、東京の夜はもっともっと楽しいのにと夢想していた。
 僕は「飲む、打つ、買う」といった類の、いわゆる「大人の男の遊び」にまったく興味が持てない人間だ。だからこそ、余計に思う。この街の夜は、もっともっと可能性を秘めている。もっと別の遊び方のできるポテンシャルがあるのではないかと、ずっと思っている。僕が散歩したり、ランニングしたり、夏にカブトムシを取りに行ったりしているのは、そうやってこの街を読み替えるだけで、まだ気づいていない面白さにいくらでも出会えるという確信があったからだ。「酒の友」を「飯の友」に読み替えるだけで、ぐっと参加できる人と楽しみ方の幅が広がるように。
 いまではすっかり朝型になってしまった僕だけれど、よく夢想する。いつか自分たちの場所を持ちたい、と。そこは本屋と、コワーキングスペースを兼ねていて、そして小さいけれど使い勝手の良いキッチンが付いている。ふだん僕らはそこで仕事をしていて、夕方からは1週間か10日に一度くらいのペースでそこでトークショーをする。僕らのメディアに出ている人たちが、ジャンルを超えて集まって、何かそこに来ると世界が広がるように思える場所にする。そして月に1度くらいは、こうやってアイデアをひねって、楽しいイベントを企画する。このイベントはアルコールがなくても楽しめるように工夫する。そしてできれば、その場所は(せめて週末だけでも)朝まで開けていたい。最終電車を逃した若い人たちが、お酒の苦手な人や女性が安心して過ごせる場所として開けておきたい。そしてこういう場所と試みから、あたらしい遊びは、文化は芽生えていくのではないかと思っている。

(写真:岡田久輝)

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。