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『井本文庫』のこと

 立ち上げたばかりの「遅いインターネット」のウェブマガジンで先週から「井本文庫」と題した連載が始まった。これはいわゆる書評連載で、毎回「暮らし」や「自然」に関係している本を紹介している。評者は僕の友人の井本光俊だ。NHK出版の編集者である彼は僕の10年来の仕事仲間で、彼は僕のインターネット生放送の番組で3年ほど、月に一度本を紹介するコーナーをもってもらっていた。この連載はそのコーナーの採録を再構成したものなのだけど僕は「遅いインターネット」のウェブマガジンをやろうと決めたとき、絶対にこの井本の書評を連載しようと勝手に決めていた。

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僕は彼とこう言うとちょっと恥ずかしいけれどずっと近い距離で仕事をして、それ以上に遊んできた。一緒に悔しい思いや達成感を何度も共有してきて、その何倍も年甲斐もなくバカ話や暴飲暴食を繰り広げてきた。だから人文社会科学や文化批評をずっと手掛けてきた彼が「暮らし」と「自然」を批評すること傾いていった理由が、どうしようもなく分かってしまう。
それは要するに、僕たちの日常と非日常、ケとハレを結び直すことがいま必要で、その手がかりを料理や住まいといった「暮らし」とその外部としての「自然」という趣味、つまりキャンプとか、川下りとかについて考えてみたい、ということなのだと思う。

 僕が彼と知り合ってからの10年は、インターネットという武器を手に入れたことで個人と世界、日常と非日常がぐっと近づいて、それもこれまでになく直接的に近づいてしまった時代だったのだと思っている。その結果が「アラブの春」の高揚とその後の幻滅であったり、今となっては悪い意味で使われることの多い「動員の革命」という言葉だったりするのだと思う。
 そして(インターネットのもたらす直接性ゆえに)個人と世界との距離感と進入角度を間違えた人たちは、しばしばTwitterのプロフィール欄に思想信条を(多くの場合は敵への呪詛というかたちで)書き連ね、ときにフェイクニュースや陰謀論の温床となる。
もちろん、だからといってかつてのように大きな物事や、正しさを語ること自体を否定してしまうことを倫理だと錯覚することはできない(そんなことをすれば、単に非日常に、大きな事物に、正しさに免疫がなくなり、騙されやすくなるだけだ)。しかし、インターネットのもたらす直接性に甘えて、目に入れたいものだけを目に入れて、信じたいものをだけを信じるのは絶対に間違っている。そんな確信を僕たちは共有しているはずだ。

FacebookやTwitterで天下国家の問題をシェアすることが、果たして半径5メートルの日常から半歩踏み出すことにつながるのだろうか。流通する「ていねいな暮らし」のパッケージを消費することが、インターネットで肥大した自意識をキャンセルして、足元を固めることにつながるのだろうか。少なくとも僕はそう思わないしたぶん、井本もそうなのだと思う。
僕たちはもっと、小さな世界と大きな世界をブリッジするときに、いろいろな方法と角度を試さないといけない。そこで、彼がいま、手探りで試しているのが「暮らし」と(趣味としての)「自然」をつなぐことなのだ。

だから僕たちは、もっと別の方法でインターネット(の直接性)を用いて、日常と非日常を、自分と世界とをつなぐことを考えるべきなのだ。それも、敵への呪詛ではないかたちで。
だから彼は、たとえば食べることについて考える(本を紹介する)。たとえば初回に取り上げた『京都の中華』という本では、文字通り京都でローカルな独自発展を遂げた中華料理と、その名店の数々を紹介する。ガイドブックとしても使えるグルメエッセイであるこの本の背景には、京都の花街の伝統と近代日本の中国移民文化のコミュニケーションの問題が静かに横たわっている。僕たちはいつか、この店で天津飯を食べよう、酢豚を食べようとと紹介されるお店を食べログのお気に入りに入れながら、ちょっと変わった角度から歴史に触れてしまう。これくらいの距離感と進入角度でやってみよう、これくらいの感じで、日常と非日常がシームレスに繋がっている状態で世の中を、それもできる限り楽しくとらえてみよう、という提案なのだと思う。もちろん、時には大きな声を上げたり、眉間に皺を寄せて犬のように吠えること「も」必要なのだと思う。けれども、そうではない距離感と進入角度をもっと試してみたい。少なくとも僕はそう思って、この連載を自分たちのメディアに載せているのだ。

 もちろん、この回路は長い歴史の中で、多くの先人達が積み上げてきた物がある。そして、これから更新されていく書評の数々を読んでもらえたらよくわかるのだけど、この井本という男はそういったことをぜんぶ分かった上で、じゃあ、21世紀の今、日本からアップデートできるとしたらこのへんかな、という部分を決してその博識をひけらかすことがなく、そしてときにユーモラスな語り口で提案してくれるのだ。
そして、僕はこの3年近く、彼が毎月紹介する本を必ず買い、そしてそこからとても大きなものを学んできた。というかどの本も単純に面白く、そして読み終えた後は確実に世界がほんの少し広がったように思えた。
この3年間、純粋な読書の快楽をもっとも僕に与えてくれていたのが、彼の紹介する本たちであったことはここに明記しておきたい。そして、そんな彼の紹介する豊かな世界を、この連載で読者に広く知ってもらいたい。僕はそう思っている。

ちょっと真面目に語りすぎたかもしれない。きっと本人はこの文章を読んで、僕に文句を言うだろう。なので、ちょっと一息入れるために何年か前、僕が彼と京都の食べ歩き散歩をしたときの写真をご覧いただきたい。残念ながら中華じゃない。ちょうど季節だったので、たまたま通りかかった地元の商店街のお祭で、鮎の塩焼きを買い食いした。これは、目の前の、アツアツの鮎を前に小躍りする中年男性の姿だ。これくらいの距離感と進入角度で、僕たちはやっていきたい。

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〈最近、こんなことをやります/やりました〉

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2月回は「読書メモの作り方、読む本の選び方」。今回は、新型肺炎の流行を考慮して動画配信のみで開催しました。
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