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消極的な人よ、身体を解放せよ──いや、そもそも身体なんていらない?|消極性研究会(後編)

おはようございます。本日のメルマガは、消極性研究会のみなさんによる特別座談会をお届けします。
常に何かしらメッセージを発する「身体」に居心地の悪さを感じる消極的な人にとって、どのようなコミュニケーションが理想と言えるのか。「身体」の情報量をテクノロジーによって制御し、消極的な人でも生きやすくなる人間関係について議論しました。
※前編はこちら!
(初出:『モノノメ#2』(PLANETS,2022))

消極的な人よ、身体を解放せよ──いや、そもそも身体なんていらない?|消極性研究会(後編)

キャンセルできない存在としての物理的身体をどう支援するか

──ただ、単純に今の世の中では、むしろ逆にわざわざ投稿しないと存在が認識されないSNSやメタバースはめんどくさくて、カフェやコンビニのような実空間の方が、どうあってもキャンセルできない物理的身体が側にあるだけで、つまりただいるだけで消極的な自分でも最低限認識してもらえるので寂しくなくてよいと感じている人たちも多いでしょう。そういう人たちのことも踏まえた上で議論した方が射程の長い話になると思うのですが、消極的に存在していたい物理的身体の側を支援するアプローチというのは考えられないでしょうか。

渡邊 キャンセルできないというのは、身体は脆弱性が高すぎるんです。私自身、いま風邪気味なので、まさに身体に問題があって、ちょくちょく咳が出るんですね。なので、この座談会を収録しているZoomでも咳をすると画面が僕にフォーカスされてしまうからそれが嫌で、マイクをミュートしてから咳するんですけど、そういうツールみたいなのがいつでも使えればいいなと……。音声をミュートにできるというのは本来はマイクのおまけ機能じゃないですか。ふつうは発言するのがマイクの機能であって、消極的な人ほどミュート機能の積極的な使い方をすると思うんですよね。
 あと顔の表情とかにも身体の脆弱性って出ますよね。たとえば誕生日プレゼントを目の前で渡されて、開けて微妙なものだったときに「ありがとう」と嘘の表情で言わなきゃいけない感じとかって嫌じゃないですか。これがAmazon ギフトとかで送られて微妙なものだったとしても、LINEでいい感じのスタンプを送ってあげれば済むんですけど、身体がそこにあると全部バレちゃうんですよね。
 そういうダダ洩れの身体の脆弱性のある部分が、Zoomのようなネットツールを介すと守られるというか、コントロールがしやすくなるので、うまいカバー方法があるといいですね。

栗原 いまみんなマスクするようになって、すこしいい感じになってきたんじゃないですか? 以前からよくおばちゃんとかが、がっつりサンバイザーをつけてると全然個人性がわからないというのはありましたけど、ああいう感じでもうちょっとテクノロジーでオン・オフできるようにすればいいと思います。自分がいるっていうのをちょっとマスク的なウェアラブルデバイスで調整するというのは昔よりは自然にできるようになったんじゃないかなと思いますけども。

渡邊 そういうものがもう少し細かいレベルで機能的に実装できるはずだし、たぶん物理的な身体をもつ実世界においても、教室の隅に行くというということしか今までできなかったけど、もう少しそういうツールみたいなものを導入してもいいのかなという感じが個人的にはします。そうやって自分の存在感を消すというか、存在感を自分でコントロールできる技術を身に着けられるとすごくいいなあ、と。

西田 でもどうでしょう。物理的な身体のめんどくささとか脆弱性を解決するのって、何かデバイスを身に着けるとかだけでは済まないのでは? むしろそういうデバイスがあることで存在感が消えるどころか、よけい身体に注目が行ってしまうような気がします。
 身体をどうこうするには何か理由づけが必要で、ある部分が動かないとか、マスクするのも感染症が広がっているとか、花粉症とか理由がないと納得してもらえないみたいな面があるじゃないですか。テック系の議論だとすごいマスクをどう作るかみたいな話一辺倒になりがちですけど、むしろその技術を使う理由づけも同じくらい重要だと思うんですよ。

渡邊 たとえばZoomでよくあるのが、学生とかが「私スマホで繋いでてネットの帯域を使っちゃうんでビデオオフにします」という理由をつけたりするけど、そういうことですか?

西田 そうです。多くの場合、そういう理由づけは意図せず事後的にできていくものですが、その中に意図的に脆弱な身体を晒したくない人にとって都合のいい理由を作って紛れ込ませていくということもできるのではないかと。
 さっき議論した感染症対策というのはまさに現在の世界を覆っている最悪の理由づけなわけですけど、それに代わる「これこれこういうものを身に着けるのは、みんなもやってるし仕方ないよね」というような副次的なルールとかマナーをデザインしていく余地は、結構あるのかもしれません。
 たとえば駅の自動改札が進化して、このウェアラブルデバイスを身に着けていると顔パスのようにすっと通過できますよとなったら多くの人が身に着けるようになって、いちいち気にされることがなくなります。そうやってデバイス自体の存在感がなくなることで初めて「存在感をマスクするデバイス」が本当に機能できるようになります。要するに、身体を支援する技術を導入する理由を個々人の身体の側ではなく、あくまでも周囲の環境の側の事情だと納得できるための口実というか、雰囲気づくりまで視野に入れて作っていくのが、消極性デザインとしてのポイントですね。

栗原 なるほど。その先にあるのが、「遅いインターネット」とか「遅いメタバース」を経由して、個々人がそれぞれの身体感覚や他者との関わり方で生きていける「遅いリアルワールド」なのかもしれませんね。

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