見出し画像

中東の民族衣装の差異と着用法 | 鷹鳥屋明

鷹鳥屋明さんの連載『中東で一番有名な日本人』、今回のテーマは日本人にはあまり馴染みのない、湾岸アラブ諸国の民族衣装です。個人でのアラブの民族衣装の保有数は日本一、現地でも日本国内でも民族衣装を着こなしている鷹鳥屋さんが、各国の衣装の違いや着用法について徹底的に解説します!

鷹鳥屋明『中東で一番有名な日本人』
第2回 中東の民族衣装の差異と着用法

服装による湾岸アラブの見分け方

 最近の湾岸アラブの間では、外交状況の変化により、各国の国民性の違いが強調されるようになってきました。その時代の中で湾岸アラブの装いの差異に対して見極めていくことは、これからの中東諸国と付き合っていく、商売をしていく上で理解しておいて良いポイントであると思います。
 中東ではイメージとして女性の衣装について制約が多いという印象があると思います。近年のニュースでは、サウジアラビアの女性がミニスカートと露出の激しい服で宗教的意義のある遺跡で撮影を行ったという理由で関係者が警察に逮捕される、という例も出ているなど女性の自由についての議論は多くありますが、ミニスカート以前に男性と女性がそれぞれ現地の方々がどういう服装をしているのかを知ることは、中東に皆さまが出向く際や駐在する前、もしくはご自身で民族衣装を着る際などにお役に立つと思います。

画像21

▲各国の民族衣装の違いを、実際に着ている状態で比較してみました。左上から順に、サウジアラビアノーマル(上段左)、サウジアラビア ディグラ着用 (上段中央)、サウジアラビア ベシュト着用(上段左)、オマーン通常と正装(中段左)、クウェート(中段中央)、バーレーン(中段右)、古いイガール(下段左)、カタール正装(下段中央)、アラブ首長国連邦(下段右)。

 日本にいますと他の東アジアの民族衣装は馴染みがあるので、まだ見分けがつきやすいですが、アラブ諸国の民族衣装はなかなかつきにくいかもしれません。ですが、昨今外交上のトラブルが多い湾岸アラブ諸国の中で、サウジアラビアの人に向かってカタール人か、などと聞いたりすると大変なことになりますし、あるいはアラブ首長国連邦(以下、UAE)人やクウェート人の区別がついた方が現地に溶け込む力は強くなると思います。
 多くの人は中東の衣装といえば男性では「おばけのQ太郎のような真っ白な衣装に頭に黒い紐を巻いて、赤と白の布を載せており時にはサングラスをして……」、女性は「目以外見えない全身真っ黒の服装」「髪を隠したスカーフ姿」などのイメージが強いと思います。得に男性の服装については石油王ルックスなどと呼ばれていますが、決して王族やお金持ちばかりが着ているわけではありません。なかなか面白いことなのですが、中東の湾岸アラブ諸国の、たとえばサウジアラビアやUAEやカタールなどでは、身分の違いによって服装デザインが大きく変わることはありません。デザインに関しては民族ごとの特徴はほとんど変わらず、高価な物は素材が大きく変わります。
 わかりやすいイメージとしては国ごとに特徴的なスーツのデザインがあり、国民が皆同じワイシャツとスーツを着ていますが、廉価版と高級版では素材が大きく異なっていると考えていただければと思います。

画像20

▲ハロウィーンでよく着られている石油王コスプレ衣装(参照

 今回は図のようなコスプレ衣装についてではなく、民族衣装について詳しく説明したいと思います。まずこの男性用民族衣装の名前についてですが、コスプレ衣装では「カンドゥーラ」と呼ばれていますが、これは主にUAEでの呼び方になります。

画像3

▲季節と地域により例外もありますが、
大きく分けるとこのような形になります。

 男性用の民族衣装はサウジアラビアやバーレーンでは「トーブ」もしくは「ソーブ」と呼びます。クウェートやオマーン等では「ディスターシャ」「ディスダーシャ」という名前になります。
 それぞれ服の特徴として、UAEの「カンドゥーラ」は襟がなく、糸を固めたボタンが3つ、4つ正面に付きます。さらに正面におへそ当たりまで届かんばかりの紐が襟元から垂れています。それに対してサウジアラビアのソーブもしくはトーブは襟首が中学校、高校の制服のカラーのような形になります。それに対してカタールのソーブ、トーブは通常のワイシャツと同じような襟型のカラーが付きます。ディスターシャはクウェートのタイプだとサウジアラビアの形に近いのに対して、オマーンのディスターシャ(オマーンでもカンドゥーラと言うこともあります)はUAEの形に近いものになります。
基本的にこれらの服の色は白がほとんどですが、サウジアラビアの西岸、ジェッダなどの地方では刺繍や線模様や袖にデコレーションが付いたり、袖が大きく広がったりとバリエーションが豊富に存在します。UAEだと冬用に暖色のクリーム色や黒色などがあり、クウェートでもクリーム色や藍色などバリエーションがあります。この湾岸の民族衣装の中ではUAEやオマーンが装飾も多く、一番カラフルと言えます。

画像4

▲中東の男性ファッションをまとめたイラスト ©Liz Ramos Pardo

でもこの中には間違いも多いです。詳細は↓のとおり。
*バーレーン(上段右)はサウジアラビアと同じスタイルが多く、イラストのような開いた襟の服はあまり着ません。
*イラスト上のサウジアラビア(下段右)とクウェート(上段左)のトーブがそれぞれ逆になっています。サウジのトーブはボタンのラインが下までおりません。胸前で止まります。
*最近はサウジもクウェートも胸にポケットが付くものが多いです。
*カタール(下段左)はサウジと似たタイプですが襟付きが多いです。

画像5

▲UAE内での「カンドゥーラ」販売店の様子

 次に、男性の頭にかけるスカーフ部分になりますが、日本で言うところの千鳥格子の赤白の組み合わせの布が「シュマッグ」というものになります。これを使うのはサウジアラビアとバーレーン、カタールの一部で多く見られます。布面積の赤の面積がサウジアラビアのものに比べて大きいものがありますが、これは主にヨルダンで使われるものになります。ちなみにパレスチナのアラファト議長がよく身に着けていたことで有名な白黒のものは主に「クーフィーヤ」と呼ばれ主にパレスチナで使われています。色使いは白黒以外も多くてカラフルと言えます。UAE、クウェートやカタールでは真っ白な「ゴトラ」というものが多く使われています。
 UAEでも白のゴトラが多いですが、冬の時期になると「カシミリ」と呼ばれる厚手の暖色のカラフルな厚手の布巻く人も多く、若い世代で伝統的な赤白や真っ白だけでなく、カラフルなシュマッグやカシミリをつける人が増えています。

画像6

カラフルな「シュマッグ」と下の「カンドゥーラ」「トーブ」など

 最後にスカーフ部分を留める黒い輪っかについてご説明します。「アガール」もしくは「イガール(イカールとも)」と言います。
 昔は羊やヤギの毛を芯材に巻きつけて大きな輪っかを作り、それを捻り重ねて二重の輪っかにします。一部王族や部族長などが三重にした金糸を芯材に巻きつけてを留め具とするタイプもありましたが、現在ではなかなか見られません。このタイプはアラビアのロレンスが身につけていたり、サウジの三代目国王ファイサル国王が好んでつけていました。現在では羊やヤギの毛もしくは化学繊維を軸紐に巻きつけて固定させた作りがメインになります。古い作りだと物によってはかなり重いため、頭の上を軽くしたい、という人のためにプラスチックで製作された軽量版もあります。
 同じように見えるこの黒い輪っか、イガール。実はサウジアラビア、UAE、カタールでそれぞれ形が若干異なるものになっています。サウジアラビアとバーレーンのイガールは後ろに紐がないものが多く、UAEとカタールは後ろに紐が垂れているものが多いです。慣れてくればその紐の形状で国の判別をつけることができます。さらにUAEの若者はイガールをつけずに昔の漁師やベドウィンのスタイルであるゴトラやシュマッグを頭にぐるぐる巻きにして巻きつけるタイプも多いです。こちらは「ハムダーニ」とも呼ばれる巻き方でUAEのドバイを治めているマクトゥーム一族のハムダン皇太子殿下から名前がつけられたと言われています。

 湾岸では稀に自分の国籍に関わらず違う国の装いを混ぜ合わせるファッションもあります(たとえば父親がサウジ人で母親がカタール人などのケース)。過去に見たことのある人ですとトーブはサウジスタイルでゴトラを巻きつけてUAEスタイルにする、などがあります。そういう時はかなり判別が難しいと言えます。
 それに対してオマーンは「クッマ」という帽子もしくは「ムサール」というターバンを頭に巻きつけます。これはオマーン独特なもので、特にクッマという帽子は、昔オマーンが広大な海洋帝国を築いていた時代の名残でザンジバルやタンザニアなどの国々にいるムスリムの方々はオマーンの民族衣装に近い格好をしていたりします。湾岸アラブではオマーンのスタイルが一番特徴的な服装なのですぐに見分けがつきやすいと思います。

画像7

▲「イガール」の作り方:軸紐を伸ばしてヤギの毛の黒紐をその周りに巻きつけます

画像8

▲「イガール」の作り方:円紐を一重の輪を二重にして固定します

画像9

▲木枠に打ち付けて硬さを除きサイズを微調整

 写真のようにイガールを柔らかくして被りやすくします。自分で柔らかくしたい場合は手で微調整を行います。

男性民族衣装の着用方法

 つづいて着用方法についてご紹介しますが、その前に皆様の知られざるオバQ服の中身について説明しなければなりません。服の中は、上は白の肌着が基本で下は下着の上に白の綿パンツを履きます。
 一部ベドウィンの方々やUAEでは股割れ部分がない、腰巻きだけという装いもあります。模様が入った腰巻きなので透けませんが、綺麗に反射するガラス製の床や階段の上にいるUAE男性の方を真下から見ると、いろんな意味でかなり危ないことになります。平たく言いますとノーパンで遮るものがないようなものですので。
 頭部についてですが、下着は白のまず白いネット帽子「ターキーヤ」を被り、その上にシュマッグやゴトラを着用し、その上にイガールを載せて整えます。これで男性の正規の民族衣装になります。このターキーヤが無いと髪の毛が突き出したり髪の毛がまとまらなかったり、シュマッグの滑り止めとして機能しています。

画像10

▲UAE版 左クラシックな形の「イガール」と右のモダンな「イガール」

男性版のフォーマルな服について

 自分が中東の民族衣装を着て正式な催しや結婚式、卒業式、パーティーなどにでは主賓やゲストは「ベシュト」という黒、白もしくはらくだ色のマントを上に羽織ります。色の違いは着る時間帯によって異なります。
 このべシュトは襟元の模様が国ごとに若干異なりますが、金や銀の糸で模様の装飾がなされておりますが、基本の形は同じです。写真で見てわかるかもしれませんが、ベシュトは地域によっては左手を袖に通さない形にすることがあり、また肩にかけたまま、両手を袖に通すなどバリエーションがあります。これはべシュトは長く足に巻き込んでしまうため袖を通さない左手で巻き上げて移動します。

画像11

▲珍しい赤茶色の「べシュト」

画像12

▲ベシュトの着用事例、
結婚式の新郎とその父親が来ている様子(カタールの例)

 また、おまけとして「ディグラ」という高位の人、それこそベシュトも身につけている人の側に付き従う人や、アラビックコーヒーを入れる人が身につける衣装もあります。こちらの衣装はサウジアラビアなどで多いです。

画像13

▲「ディグラ」はマントではなく長いジャケットのようなものです。

画像14

▲バーレーンの結婚式で客人にコーヒーを出す役をする著者

 ちなみに写真のようにコーヒーの受け渡しをするだけではなく多くの物の受け渡しなどでは必ず右手を使います。これはインドなどと同じように排便の後に水を使い洗浄する際に左手を使うため不浄のイメージがあることから、左手を多用することはあまりよくは思われません。なるべく右手を使いましょう。

湾岸アラブにおける女性の民族衣装について

 正直、女性の民族衣装について語るのは少々難しいところがあると思います。湾岸アラブ地域でその特徴を説明すると、基本全身黒い服「アバヤ」というイメージのままになります。近年では刺繍やアクセサリーが付いたタイプも増えてバリエーションが増えてきたと言えます。ちなみにディズニーの映画『アラジン』などで出てくる女性の服装の多くは色々な国のデザインのごちゃ混ぜで、かつてのペルシャやインドなどの服装で湾岸アラブでは一部、インドの影響を大きく受けているオマーンなどを除きほとんど見ることはありません。
 世の中では中東の民族衣装について女性の権利など色々と議論がありますが、その話も少しだけ話しつつ、ここでは女性の民族衣装のそれぞれの違いについて語ろうと思います(現地でそもそも女性をジロジロと見るのはあまり行儀良く無いのでご注意ください)。
 こちらは男性の民族衣装とは異なり、一概に国別で説明がしにくいところがあります。しかし共通していることは、公共の場で家族や親族以外の男性がいる場所で「髪をあまり露出させない」という点が挙げられます。最近は髪を出す女性も随分と増えていますが、現地で髪を出して肌の露出の多い、派手な装いをしていると「軽い女」と見られる可能性が上がるのでご注意ください。
 顔全体を隠す「ニカーブ」を使う人は宗教的に敬虔な方が多いと言えますが、イスラーム教徒の方々全員があのニカーブをつけるわけではありません(特にサウジアラビアの内陸部などでは多く見かけます)。サウジアラビアの西岸側のジェッダでは、後述の顔だけ出すタイプのヒジャブをつける女性を見かけることもあります。また中東全体に起こる改革開放の流れに合わせて髪を出すという運動が起きていると同時に、「私たちは自分の宗教的な理解の上に好き好んで髪を隠しているのだから部外者(異教徒や他の国の人)が色々言うな」という相反する動きも出てきており、この辺はなかなか難しいところがあると感じます。

画像15

画像16

▲お店で展示される「ニカーブ」の様々なバリエーション

 ニカーブの巻き方は鉢巻と同じで頭の後ろに紐を縛り、目の部分を出してその上に「ヒジャブ」と呼ばれるスカーフを巻きます。物によってはヒジャブと目隠し部分が一体化したニカーブもあります。
 どちらかというと、このヒジャブのみという形が最もポピュラーな形と言えます。写真にある通りにヒジャブと「アバヤ(黒い上着)」がデザインに合わせてセットになっているものが多いです。
 ヒジャブの巻き方もトレンドがあり、巻き方と柄を合わせて綺麗に整えるところに妙があります。ニカーブは基本的に黒色ですが、ヒジャブは黒以外にも様々なデザインがあり色も多様で刺繍によるデコレーションも豊富にあります。

画像17

画像18

▲ヒジャブとアバヤのセット
画像19

▲中東の女性ファッションをまとめたイラスト ©Liz Ramos Pardo

*中東の湾岸地域(ハリージ)の地域は上段右のイラストになります。UAE、バーレーン、カタールなどがこれに該当します。サウジアラビアは特にニカーブが多いと考えていただければと思います 。
*上段中央はヨルダンやシリアなどにある姿です。上段左はパレスチナ刺繍が入る独特のものですがもっとシンプルなものを日常着にしている人も多いです。
*下段左、アフガニスタンのチャドルは上から被る形のものでニカーブとヒジャブ、アバヤが一体化したものと考えていただければと思います。
*下段中央のトルコではスカーフを巻く人、巻かない人もそれぞれいます。

髪を出すことの意味

 先ほど少し触れた髪を出す、出さないの話ですが、中東諸国の中で政教分離が進んだ国々では、日常生活において前述のヒジャブやニカーブをつけない方もいます。また、シリア(少し前の)やヨルダン、パレスチナのような国でも髪を出して日常生活を送る若い女性もいます。それに対し、統治において宗教に重きが置かれているサウジアラビアなどの湾岸諸国ではヒジャブやニカーブをつけている女性が多いと言えます。
 よくドバイに行くと、そんなことはない、という声を聞きますが、ドバイは人口の多くが外国人で構成された国であり、生粋のUAE人はニカーブやヒジャブを身につけた人が多くいます。私も現地滞在中の貴重な経験として、現地にある女子大にご招待いただき中に入ったことがございますが、女子大という場所柄もあるからでしょう、中にいる女性の100%全員がニカーブもしくはヒジャブにアバヤという真っ黒フル装備でいました。大学なので制服などはないはずなのですが、進んで大学にふさわしい姿、ということでその装いを選んでいると言えます。ちなみに警備の方々も同じように真っ黒フル装備の女性でした。

 この「髪を出す、出さない」の慣習に対して不都合を感じるというよりも、個人差はありますが「自分の信じる宗教の習慣なのだから行っている」という感覚が強く、女性の権利云々という点では意識をしてはいません。ただ、アメリカや西欧に留学もしくは働いているアラブ人の方は女性の髪を隠すことについてやはり思うところがあるのか、異国の地では髪を出す女性もいますし、海外でもちゃんと髪を隠し続ける女性もいます。海外に留学したサウジ女性が現地に溶け込むケースと、留学を通じて自身のアイデンティティをより強固したケースなど、それぞれがどのような心持ちで日々を過ごしているのかがわかる一つのサンプルケースになると思います。
 基本的に信仰に関しては個人に依拠するところがありますので(あくまで信仰は個人と神の関係)、他人がとやかく言う事はできません。これが、イスラームが多数派を占める世界ならば問題はありませんが、それ以外の宗教が絡む世界ですと少々問題が起きてきます。
 2014年、女子バスケットボールのアジア大会にてカタール代表が試合中にヒジャブの着用を禁止されたため試合を放棄した、という出来事がありました。これはカタールが国際バスケットボール規定で禁止されているヒジャブの着用不可のルールそのものを変えるために行った示威行為と言えます。

(参考)産経ニュース「ヒジャブ禁止で棄権カタール女子の傷心…韓国組織委の“朝令暮改”とバスケット連盟の低意識」(2017年7月20日閲覧)

 サッカーや柔道、さらにはボクシングなどの競技においてヒジャブの着用は許可されており、今後もスポーツ界ではこのような動きがますます増えると考えられます。
 ちなみに近年では鮮やかな色のヒジャブも中東でも増えていますが、色のバリエーションが多いのはやはり東南アジアだと思います。ただ、東南アジアのヒジャブは形が決まった一体型のフードみたいなものが多く、アラブのヒジャブとはかなり形状が異なります。

 以上、説明してきましたアラブの民族衣装とその国別、地域別の差異についてですが、肝心の中東本土では近年、若い世代が民族衣装を着る比率が徐々に下がってきたと言われています。かつて日本でも明治、大正を経て着物人口が大幅に減っていったように、徐々にアラブ諸国でも民族衣装ではなく洋服を着る機会が増えてきていると言えます。Tシャツ、ジーパン姿のアラブ人も多い今日この頃です。
 また、ヨーロッパやアメリカなどでイスラーム的な装いに対する排斥の動きがあることから、国外で彼らが民族衣装を着る機会も減っています。実際、2016年アメリカのメディカルツアーに参加していたUAEの男性が民族衣装カンドゥーラを着ていた、という理由だけでテロリストと間違えられて逮捕される事件が起きました。その後、各国のUAE大使館から「カンドゥーラを着ての外出は控えるように」との通達が出て、日本もその例外ではありませんでした。
 そんな状況の中で、現地の民族衣装をしっかりと着こなす外国人の存在は現地の人たちとの関係構築の一歩として実に大きな武器であると言えます。着物など日本の民族衣装で逆の立場で考えればわかると思いますが、ふざけて着るのではなくそれ以前に、ちゃんとした着こなしを理解するだけでもきっと距離感は大きく変わると思います。以上、皆さまの中東理解への一助になれば幸いです。

(続く)

▼プロフィール
鷹鳥屋明(たかとりや・あきら)

画像20

1985年生まれ、中東アイドル。
メーカー、商社、NGO勤務後、日本と中東を繋ぐベンチャーに勤務。数万人のアラブ人フォロワーを持ち、アラビア語圏で活動中。湾岸アラブの民族衣装保有数日本一。

前回:鷹鳥屋明「中東で一番有名な日本人」第2回 もしも湾岸アラブの国々が男子高校生だったら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?