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オートマトン・フィロソフィア 人工知能が「生命」になるとき

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現役のゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方について探ります。
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人工知能にとっての言葉(前編) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人間の世界認識の根幹となる「言語」を、人工知能はいかにして実装しうるか。前編では、西洋哲学における言語論の蓄積を踏まえながら、言語的な認識の構造のモデル化を試みます。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第八章 人工知能にとっての言葉(前編)三宅陽一郎 序論 シモーヌ・ヴェイユはこのことを次

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人工知能にとっての言葉(後編) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人工知能と人間の間で自然な会話を行おうとするときに、大きな障壁となるのがが「フレーム問題」です。言語は人工知能に「意思」を与えうるのか。禅や華厳哲学の認識論をヒントに、その可能性を探ります。※本記事の前編はこちら オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第八章 人工知能にとっての言葉(後編)三宅

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