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オートマトン・フィロソフィア 人工知能が「生命」になるとき

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現役のゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方について探ります。
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#人工知能

オープンワールドと汎用人工知能(1) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。東洋的な思想を通じて「存在としての人工知能」について論じた前回を踏まえて、今回はビッグデータやアルファ碁を例に取りながら、高度化していく人工知能の現状と未来について考察します。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第三章 オープンワールドと汎用人工知能(1) 三宅陽一郎 (1)果てのない世

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オープンワールドと汎用人工知能(2) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。一般的な人工知能は「問題に立脚して」作られていますが、三宅さんは問題に立脚しない、汎用人工知能に人類の「他者」となる可能性を見出します。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第三章 オープンワールドと汎用人工知能(2)三宅陽一郎 (2)人工知能の持つ虚無問題特化型人工知能 「人工知能は稠密

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人工知能が人間を理解する(1) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人間と人工知能は理解し合えるのか。西洋と東洋のAI観を比較しながら、人間と人工知能がそれぞれに抱える虚無の深淵と、その差異について考察します。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第四章 人工知能が人間を理解する(1)三宅陽一郎 (1)人工知能が人間を理解する 長年、と言っても、十五年程で

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人工知能とオートメーション(自動化) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。急速に人間を理解し始めた人工知能ですが、その思考様式は人間とは大きく異なります。これからの人工知能の分岐点にもなりうる現代の「第三次AIブーム」までの流れを三宅さんが分析します。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第五章 人工知能とオートメーション(自動化)三宅陽一郎  本章では、人工知

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キャラクター認識論・感情論 | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。自己像を外界から切断する西洋型認識論と、主体と外界が溶け合う東洋型認識論を比較しながら、感情の働きや自己投影を通じて、知性が世界へと干渉するプロセスを読み解きます。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第六章 キャラクター認識論・感情論 三宅陽一郎   この世界で人工知能はどれほどのものを背

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街、都市、スマートシティ | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。今回は、人工知能による総合的な都市管理を実現するスマートシティ構想をテーマに、ビデオゲームやSF作品を手がかりにしながら、人間と都市が結ぶ新しい関係について掘り下げます。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第七章 街、都市、スマートシティ 三宅陽一郎  今、人工知能を応用する最も大きな射程

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人工知能にとっての言葉(前編) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人間の世界認識の根幹となる「言語」を、人工知能はいかにして実装しうるか。前編では、西洋哲学における言語論の蓄積を踏まえながら、言語的な認識の構造のモデル化を試みます。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第八章 人工知能にとっての言葉(前編)三宅陽一郎 序論 シモーヌ・ヴェイユはこのことを次

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社会の骨格としてのマルチエージェント(前編) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。今回は、ある役割を与えられた人工知能・エージェントの振る舞いについて考えていきます。自律的かつ複数で協働するマルチエージェントは、やがて人間と似た「社会」を構築し、「文化」に似た情報の集積を行うようになります。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第九章 社会の骨格としてのマルチエージェント

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社会の骨格としてのマルチエージェント(後編) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。前編に引き続き、役割を与えられた人工知能・エージェントについての議論です。人工知能に欠落している社会的自我と実存的自我の統合による「主体性」の獲得、そしてその先にある、人間の代わりに人工知能によって構成された社会のあり方について構想します。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第九章 社会の

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人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(前編) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。最終章となる第十章では、人間と人工知能の未来の関係について考えます。人間を拡張するAIと、自律的な知性として存在するAI、両者は相互に影響を与えながら、より高度な社会を構築していきます。 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第十章 人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(前編)三宅陽一郎

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人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(後編) | 三宅陽一郎

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。第十章の後編では、人工知能が人類の芸術や歴史に及ぼす影響について考えます。ネット空間で人間に代わり活動を始めるAIたち。そして「余暇」を得たAIが文化を生み出す可能性とは――? オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第十章 人と人工知能の未来 -人間拡張と人工知能-(後編)三宅陽一郎  (5)

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