第五章 エスとしての日本(前編)|福嶋亮大
福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ
1、エスとしての日本/小説 文芸批評家のテリー・イーグルトンはアイルランドをイギリスの無意識(エス)と見なす立場から、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』(一八四七年)のヒースクリフが、わけのわからない言葉を話す薄汚れた黒髪の孤児として登場することに注目した。彼の考えでは、リヴァプールの街角で飢えていたところを拾われたヒースクリフは、一八四〇年代後半に未曽有のジャガイモ飢饉に襲われたアイルランドの難民のアレゴリーである。イーグルトンはこの黒々とした