このまま先を見通せない日本の教育
学校や塾、予備校など、子どもたちを教える場が、昔と今とどれほど変わってきたか、あえて今さらそれを取り上げても仕方がない。当の子どもたちは、勉強に取り組むだけだし、うまく行かない時、悩むのは当人、親、教師だ。昔から変わらない。あれこれ行き届いた注意や当事者たちを救う機会が、強まっているとしてもだ。
個々の問題だが、広く制度の問題であり、社会の問題として、研究も実践も必要だろう。先のことを考えるなら、誰しもこれでいいと思うことはできまい。いやいや、教育に限ったことではなく、それは万事に言えることだろう。
しかし、どこへ行くのだろう。どう行きつくのだろう。今の時代、大人はそう考えざるをえない。かなり難しいものがある。
ぼくは塾で勉強したことはないが、塾や予備校はあったし、中学入試もあった。大概は公立中学で、急激に増えた生徒の収容に、当時の大人たちは大変な思いをしたことだろう。私立、国立の学校を目指す家庭は「グレイド」にこだわるところがあったろうが、これがまたたく間に、進学進学と、かまびすしくなってゆく。ほんの数年で変わった。ベビーブームがあったから尚更だし、日本の高度成長に合わさって塾ブームが起こった。もちろん、問題行動が小さくなったわけではないのだが・・・。
大学の研究者になることを考えなかったぼくは、行き場に困った。恩師は、自らのテーマを見いだせ、大学院に入る必要はない、その位は自分が指導する、その後だが研究が続かないから学校教師にはなるな、と言われた。しかし、どこへ、どう行ったものやら、学校を出てから雲をつかむような虚しさが、降りかかってきた。
今に通じるきっかけは、二つあった。一つは学問、いってみれば勉強の世界だ。もう一つは、学校教育の改革であった。中学を出るときには、この二つを胸に学んでいく決心だった。結局言えるのは、その初志は崩れていなかったということになるかと思う。
やむなく、勉強(学問)と教育に携わることができる(と思われた)学習塾の門をたたいたのである。2年ほど勤めたが、これではダメだと思うことばかりだった。
自分の塾を作ろうと思って、勤め先を出た。その後知ったこと、ぶつかったこと、たくさんの同業者と語り合ったことなど、思いだせば、それこそきりがない。中曽根首相の時の臨時教育審議会の時、『塾リポート』という冊子を作ったこと(ぼくは編集長)、参議院の教育部会から同誌を100部注文されたことや、教育関連の報道機関との会見、文部省(今は文部科学省)や第一部会に呼ばれて総理府に行ったこと、関連団体のちょっかいなど、たくさんのことがあった。気づいてみれば、幼稚園生から、大学院生、大人の皆さんまで、幅広く「教える」ことをしてきたものだ。今は、英語、日本語、哲学等、市民サークルの指導を行っているのだが。
子どもたちを教える時期は過ぎたけれども、昨今の教育を聞くたびに思いだすのは、ちょっと奇妙かも知れないが、塾・予備校がやり玉に挙がって、テレビなどでよく取り上げられたころのこと。ちょうど、関西の灘高が、主な進学先を東京大、特に医学部(理科3類)に切り替えて、開成高の上を行くと話題になった頃だ。受験戦争の火ぶたが東京大を頂点とするものに一本化したと言われたころだ。
「灘」に何人入ったと週刊誌、テレビが大騒ぎである。分けても、その筆頭と目された塾が注目され、受験戦争批判のターゲットにされ、塾長はテレビに顔を出して一躍有名人に数えられたと思う。
どんなに激しい詰込みを行っているのか、そうでなければ受験戦争に勝つことはできないとみんなが思っていたであろう。「四当五落」(4時間睡眠で受験勉強する者は合格し、5時間睡眠すると落第する)をマジで信じる人がいた。
ぼくは、その塾長の書いた本を読んでみて驚いた。単純な猛烈主義ではないではないか。単純に競争を煽っているのではないじゃぁないか。むしろ、学校外でしかできない「教育学習」がそこにあったのである。例えば、漢詩を近くの小山にある松の木の下でみんなで読むとか、夏の合宿は、ある海で行うのだが、数キロ先の水くみをすることや、食事作り、洗濯などに大半が費やされ、会話が主になっている。進学成果に惹かれて全国からやってくる親は拍子抜けして、子どもを止めさせたりする。
ある夏、東京大学法学部の学生が友だちの女子大生を連れて行っていいか、と聞いてきたそうだ。その名前を聞いて、塾長は驚いた。全国模試で大概1位の座を占める鹿児島の娘の名前だったからだ。1も2もなく、是非連れて来てくれと返事をしたところ、その女子大生がやって来た。
行動は機敏、細かい神経を有した利発な娘だった。彼女の生い立ちなど聞いてさらに驚いた。
彼女は何と予備校を知らない。田舎の野山を走り回って育ったというのである。それこそ「本物」と塾長は思った。東大法の塾出身者たちに、本当はこの学生のようであれば、塾も予備校も必要ないと語ったとあった。
その学生の話は無論ぼくを驚かせた。もっと驚いたのは、乱塾時代の代表者たるその塾長の考え方なのであった。知らなかった、という思いで胸が詰まった。しかるに、この人を教育界の悪者に仕立てる報道ぶりには閉口した。もちろん、カネの亡者、出世や名望のために夢中になっている塾や予備校がどんどん出て、争っているのは事実だったが。
ひるがえって今、教育に限らず、ありとあらゆると言ってもおかしくないと思うのだが、もうすっかりランク付けに慣らされている風潮が気になる。そろそろ、言うがまま、用意されるままではない、自分の頭で(よく言われる言葉で恐縮だ)、考えること、情報を疑う気持ちをもう少し強めに持ちたいのだ。
それもこれも教育のせい、とまで言わずとも、教育がこれからの人の能力を奪ってきたと言ったら言い過ぎだろうか。先日、ネットを見ていたら、ランク付けのトップ、エリート中のエリートと呼ばれる若い女性(山口さんという)の発言に出合い、これは流石と思うものだったので、引用する。
”勉強ができてすごいね、という褒め言葉はたくさん言われてきましたけど、実は私、勉強が大好きなわけではなかったのです。圧倒的に日本の教育システムに合っていて、優等生になっていっただけなんですよ。教師が教えてくれることを一切、疑わずに繰り返して、真面目にこなしていく力が人よりも多くあった。”
上の言葉はとっても重要だ。言うまでもなく、この人はエリートの名に恥じない人だ。しかし、疑い深かったり、たくさんの想像や創造に頭が回ったりする人は、エリートと呼ばれる路線から外れていくことを教育に関係する人は考えずばなるまい。それこそ多種多彩な人間の能力を、今ある路線に乗るようにするだけでは、余りに意味がなく成長を阻害する行為だし、ひっきょう社会の安定に反することになるとぼくは思うのである。
和久内明(長野芳明=グランパ・アキ)に連絡してみようと思われたら、電話は、090-9342-7562(担当:ながの)、メールhias@tokyo-hias.com です。ご連絡ください。
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