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ぼくの思う、人と文化 「国難」の思想

 21年になる。あの「9.11同時多発テロ」からだ。続いて起きたアフガン爆撃、イラク戦争、そして世界の人が知ったアルカイダ、オサマ・ビン・ラディン。誰しも忘れることができない。

冒頭の写真左は、ロシアの大画家レーピン作、「皇女ソフィア」(1879年)。トレチャコフ美術館で。日本に展示されたこともある。                                                                    



 昨日9月11日の夜、東京都杉並区の荻窪で、「9.11メモリアル・日本」という哀悼と平和の会があった。21回目になる。

 この会を主催してきた身として、「声を大にして言わなければならない9.11の意味」と題して、少しお話をした。さいわい、「9.11メモリアル」に対する考え方の整理に役立つところがあったと見えて、時間がない中、次のようなお言葉を書いてくださった方々があった。

 <和久内さんのお話は、最近起こっている出来事について深く考えさせられる内容でした。「平和」とか「家庭」とか肯定的な意味を持つ呼び名を旧統一教会がつけていることに、人々は簡単にダマされる。そして真実のニュースとフェイクニュースの区別がつきにくくなっている。そんな世の中で人びとがどうして正しい判断力をつけられるのか・・・。大変難しい時代だと思います。/ 9.11から21年経過してアメリカでも事件そのものが少しずつ風化しているとも聞いています。二次大戦も含め、どの様に人の記憶に残して行くのか、そして二度と起きない様にするのか、曲り角です。/ 本日は有難うございました。>

 <本は読み手が存在してこそ成るという言葉を聞いた。演奏は楽器や自身の器との対話、そしてそこにその二対だけでない存在を感じつつかなでているか、それがものすごく大きいと感じた。たたかっていては、まだまだ、やはり対話やひびき、共振なのだと。/琵琶の塩高和之さんは、ますます素晴らしい。コラボでもソロでも対話を感じる。だから心打たれる。フルートの久保順さんもそうだった。/そして、和久内さんのお話は、もちろん聴き手の存在を大いに意識して語られるから染みてくる。/ありがとうございます。>

 もう一人、今朝メールをくれた高校時代の友人の私信がある。当人には事後承諾だけど、折角横須賀の衣笠(きぬがさ)から足を運んでくれたので・・・。

 <昨日の催しの質の高さはすごかった。琵琶とギターの演奏はすごさを感じました。今回の演奏で尺八演奏が心に沁み込んできました。尺八の楽器としての構造から、演奏が難しい楽器ではないかと思えるのですが、聞き入ってしまいました。まあ、琵琶とフルートの合奏もなんといってよいのか。すごいの一言です。-以下略―>

 こうした声を受けると、あらためてこの会のことを積極的に受け止め、僕が何をお話ししたのか、来られなかった方々にもお知らせする「義務」があるように思える。15分程度という時間の制約(実際は越えてしまったけれど)があるから、限界がある。だが、時間が許す限り 精一杯お話しした。

何ということだ!忘れない、決して忘れない。

昨日話した「声を大にして言わなければならない9.11の意味」主旨


 一昨昨日(さきおととい)の8日、イギリスのエリザベス2世が亡くなった。70年間美しい女王として、世界中に知られていたから、英国から苦しみを与えられた人々や国は別としても、先進的諸国の代表が集まる「国葬」が予定されている。わが国も天皇が出席されるという。

 この時期、故安倍元総理の国葬儀も内閣が決定して、執り行われる。こちらは急きょ、総理大臣の発令に始まった。しかし、安倍元総理を暗殺した者の動機から、今は名前が変わったのだが、宗教団体のはずの「統一教会」と政治の絡みが白日にさらされて、どうも国民の半数以上が「国葬儀」に反対するものとなった。

 故安倍氏を始め、政治に深く食い込んだとされる「統一教会」が、別動隊「勝共連合」として活動を始めたころ、ぼくはその姿を駅前や学内で目撃している。同教会は、「壺」、「数珠」などを破格の値段で売りつけ、信者さんの家・屋敷まで奪うような献金などを行って、大変な社会問題になった。

 その「統一教会」が「世界平和統一家庭連合」と名を変えたのが数年前だ。以前の正式名は「世界基督教統一神霊協会」で、通称は統一教会、統一協会だったのである。宗教団体だから「無税」。正当な理由なくして、名称の変更がならないのは申すまでもない。

 故文鮮明氏は、再臨主とされる。彼の祖国である韓国を迫害した昔の日本は、最も悪い国である。しかし、故文鮮明氏が「エバ国」となった。すなわち「エバ国家」は妻に相当し、夫である「アダム国家」=韓国に尽くさなければならない。さらに「母の国」として、子供である全世界の国々に、主に経済貢献する使命がある。であるから、他のどの国よりも大きな献金が求められる。

 こうした意識を徹底的に叩き込まれるとどうなるか。例えば「平和」。これは、あくまでも自分たちの平和であり、それが実現すれば敵も平和になるという考えかたである。「家庭」については、国連が1989年に定めた「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」を読んで欲しい。子どもの権利を阻害する家庭などダメだといっている。家庭が基本という言葉を手放しで言わず、子どもの生きる権利、成長する権利を第一としているのだ。

 「平和」や「家庭」を表看板に、わが国の人たちに「妻」の立場だから尽くせと言って賛意を集める。このイデオロギー的信仰の広まりこそ「国難」に値するだろう。当たり前の人の心情だから、束ねやすい。

遺族の本ではあるが、その思いをいやというほど知らせる、タイトル通りで頭が下がる。

 9.11の意味だが、これが「大テロ事件」であることは明らかだ。国家対国家の図式ではとらえられない。複雑でうかがい知れない暗闇を抱えているようだ。

 ここに最愛の息子さんをツインタワーの大テロで失った住山一貞さんの著作がある。『9/11の真実を求めて』(2022年4月15日:ころから発行、4000円+税)で、手にしたばかりであるが、知らないことだらけ。住山さんは「2001年米国同時多発テロ調査委員会報告書」をすべて翻訳され、踏み込んだ分析、紹介を加えている。これを原文で読むなど、余程の方でないとできない相談だとつくづく思う。加えて、疑問、分析に堪える研究は、中東諸国の歴史にまで及ぶ。

 著書は届いたばかりなので、僅かしか目を通していないが、一つ紹介すると、1968年の建築基準(NY市法)改定があったそうである。ツインタワーはその2年前、1966年に「着工式」が行われているのに、実際の工事開始は1968年なのである。この改定を待ったと考えるのは自然だろう。避難の設備、耐熱効果、今となってはいろいろ問題が生じる改定だったようだ。ちなみに住山さんは理工系の出身のようで、工学的、理学的、数学的にも精緻な解明を随所に施されている。だが、その文学的、歴史的センスから繰り出される知のあり様には、とても敵わないものを感じる。

 現在は、アメリカ対中国の2極対立に、周辺諸国、ロシア、インド、アラブ等々が絡んでくる。しかし、9.11が決定的に示したこれらの動向に、各地、各国で、立ち上がっている人々がいる。グローバル化を進展させる民衆の連帯が広く認められる。

 ところで、人間の「いのち」がいつから意識的に取り上げられたか。答えは専門の研究者でも様々になろうが、思い出して欲しいのは第一次大戦である。西洋の知識人の多くは、「科学」や「技術」、「生産力」の進歩や増大が「人々」の幸福をもたらすと信じてきた。しかし、もはや、科学や生産の進歩や増大を手放しで済む時代ではなくなった。

 女性・男性・子ども・納税できない人々・障がい者・外国人・奴隷等々、初めて、万民を、人間の集合として、考える時がきたのだ。今日にわたって、その意識を国のリーダーや評論家、教師たちがあまり持ち合わせなかったらどうだろう。

 一人一人の力はとても小さくとも、願うべき民主主義の底力となる僕たちが信頼し合って、力を高めなければならない。9.11はそのことを教えてくれているのだと思う。


(ホットな文章です。欠落を恐れてはタイムリーに出せません。それにしても、この会に集まられた方々のお気持ちに心よりの感謝を申し上げます。勇気をいただきました、演奏家の皆さま、あらためて皆さまが、第一級の音楽家であることを、そしてその条件たるものを身につけられていることに、この場を借りて、敬意を表したいと思います。)


 和久内明(長野芳明=グランパ・アキ)に連絡してみようと思われたら、電話は、090-9342-7562(担当:ながの)、メールhias@tokyo-hias.com です。ご連絡ください。




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