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思考を大切にして発展したい教育界!

 いつ途切れることなく続いている学校教育への批判。受験だと、「詰め込み」の問題、記述式や受験者の聞き取り能力、表現能力をどう取り込むかという「技術論」に向かう。その時代時代で可能な方策を提示する。そうこうしているうちに、民間の教育産業の参加や、教育界における自由競争の論理などが意気盛んとなり、大きな節目を作る。

 議論は盛んな方がいいし、教育となると経験しない人はいないわけだから、たくさんの見解や体験が披歴されるだろう。そこに加わるのだけれど、勉強そのものに焦点を当て、ひいては受験の本質的問題をあぶり出したくぼくは思うのだ。

 ま、大きく出たなと思われるだろうし、自分も思わないのでもない(笑)のだが、披瀝(披歴)なんだから、考え通りに述べたいところだ。

 受験に絡むと、大きな問題は二つあるように思う。一つは、勉強そのものだし、もう一つは、選抜について、である。

 「勉強」という語についてあれこれするのは取り合えず二次的として、この語については、何をどう教えるかが、常に問われる。それは必要なことだ。だが、学習者の頭の中を「面白がる」方向が見えてこなければ、課題に対していかに効率的に、いかに合理的に、いかに分かり易く教えるかという、上から目線を注ぐのが当たり前で、それを末永く受け継いでいくことになる。そこでは、一定の「落ちこぼれ」は、その子の能力の問題となり、「普通教育」外の扱いをするしかないだろう。

埼玉県日高市の高麗山聖天院勝楽寺

 例えば、小学生前後で、一足す一(1+1)が分からない子があるとする。左手におせんべい2枚、右手にキャラメル3つ握っている、全部でいくつ?なんて言われて、戸惑い考え込んだりする子があったとする。一枚の紙に、葉のついた枝が描かれ、そこに花が5輪咲いているのが見える。花はいくつ?と問われて反応しない子もある。こうした例えは、際限もないが、「正解」に届かないその子を、算数はダメとか、アタマが弱いと決めつけることはないだろうか。十分にそれはある。

 他にも、雪合戦で、固めた雪を2個あわせてもっと「破壊力」のある一個にしたらと考える。1+1は1だ。そういうのは問題外で、「本当の」1+1ではない、と言ってもなかなか合点がいかない。この辺は今お休みしているYouTubeの“和久内明 文化・教養チャンネル「現代知の挑戦」”でお話ししようと思う。

埼玉県日高市の高麗神社

 どの学年にも教科にも、こういった疑問は生じるわけで、しかもすべての人が同じ疑問を持つとわけではない。しかし例えば、thisとthatとitなど頭からそういうものだと教えられて、itは「それ」じゃないの?と思って先に行けない生徒があった場合、どうしますか?ここには、教師を含む人も、習慣という以上にハッキリ答えられない事情がある。

 根本的な問題だが、数学でも初歩的に、例えば直径と半径。直径は2rで、半径はr。疑問が出たらどうする?しかるにである。勉強、学習のおもしろさはここにこそ認められるのであって、丸をつけてもらうことが第一になってはならないのだ、とぼくは主張したい。

 教える人には、哲学的なというか、科学的説明が必要となる。教師がマニュアル通りにやればよいと考えて独自の勉強をしない、ということでいいわけがない。もっとも、勉強が苦手な子たちが集まる学校は例外だ、という見方があるだろう。しかし考えて見れば、ますます指導の低下を招きこそすれ、勉強に興味を持たせることなど期待できないことにつながってくるに違いない。反対に偏差値が高かったらいいのかと言ったら、生徒に自身や他者を大切にする人柄が育つかどうか、考えて見ることが大事なポイントになるであろう。丸をつけてもらうことや、人あるいは他校に勝つことが第一になってくればの話だ。

埼玉県日高市高麗神社の裏山

 さて第二の「選抜について」の問題だが、考えて見ればこれも又、個々人の人格を尊重し伸ばすようには考えられていない。それとは全く逆というところが正直なところだし、大いに問題にしなければならないところだ。

 とは言え、徳川幕府から明治に入り「富国強兵」が叫ばれたことを思いだせば、近代国家を作るにはそれを担う人の育成と、国民という形の統一体を必然的に求めることにある。産業や軍事を保障するには欠かせない。一定の知識などがすべての者に、それぞれの形で要求される。

 エリートは、世襲の足かせを外してかからねばなるまい。藩閥を確保して政治の中心力を確保し、日本という意識を隅から隅まで徹底させる。学校教育が必要になったゆえんである。それ以来、私立をふくめ、学校の設立、義務(強制)教育制度が成り立った。大なり小なり、「競争」が教育の中心に位置して、成績を争って、これに生き残っていくことがエリートとなる最大条件となった。言うまでもなく、財産に余裕のある者が有利だが、それだけで約束されないのが良くも悪くもエリートの道だ。

 きれいごとの批判はいくらでもできるさ、と実はぼくも思っている。一生懸命、各界の動きを忖度しながら、あらたな仕組みを導入する方々の並大抵ではない努力を知らないわけではない。ただ、根本問題を考えて思考停止しないようにしないと、目先に振り回されることもある。目先というか、その域を越えていく提起をしなければならないなぁ、と考える。あったりまえだが、この問題はここで終えるわけには行かない。続けるつもりです!

 和久内明(長野芳明=グランパ・アキ)に連絡してみようと思われたら、電話は、090-9342-7562(担当:ながの)、メールhias@tokyo-hias.com までご連絡ください。お待ちしています!

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