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いまでも人見知りで新しい環境が苦手


いまでも人見知りで新しい環境が苦手

この話をすると驚かれるし、信じてもらえない事も多い。
大人になったいまでもベースは人見知りで変わらないけど、そんな自分の苦手ないことよりも、人に興味があって新しい環境にワクワクすることの方が多いから、それがいま周りに見えてる自分だと思う。

そんな普段見せない人見知りの自分を知ってもらえたらちょっと心の距離が近づくかも??
自分や家族に人見知りの人がいたり、新しい環境が苦手だったらちょっと日々が暮らしが楽になるかも??

人見知りでも、新しい環境が苦手でも
大丈夫だ!!!って声を大にして言いたい。

大丈夫だ!!

さてそんな想いを持ちながら、昔の話から綴っていこう。

保育園に行きたくないと毎日泣いてた

今でも鮮明に覚えてるけど
保育園に行きたくないって毎日泣いてた。
毎日母から離れたくないし、
毎日お腹痛いって言ってたし、
毎日駐車場から入口の門まですごい時間がかかってしがみついて嫌々って言ってた、

今の僕には3歳の息子が保育園に通ってて、1歳の娘も一時預かりでたまに保育園に預けてるけど、保育園が楽しいみたいで何も嫌がらずに通ってくれるのに助かってる。
自分が毎日嫌がって泣き喚いていたと思うと、母には申し訳なかったとすごく感じる。大変だっただろうなぁ…。

僕は年少から保育園に通い始め、それまで母と一緒にいた生活からいきなり離れなきゃいけないことにすごいストレスがかかってた。
知らない友達、知らない先生、知らない場所、みんな自由に遊んでるけど自分は何していいのかわからない、全部嫌で、全部わからないからものすごく怖かった。
入園したばかりのころは園庭でひとりポツンと泣くことも出来ず立ちすくんでいた。

僕の父や母には友人も多く、我が家に友人が集まったり、友人宅に集まったりと物心つく前から知らない大人と接する機会が多かった。
しかし始めましての人は怖かったし、いつも母の後ろに隠れて挨拶もまともに出来なかった。絵に描いたように母の足にしがみついてたのを覚えてる。

見知りで一番記憶に残ってるのは
小学校の入学式


本当に極度の人見知りで、新しい環境が苦手な湧少年は
小学校の入学式が嫌で嫌で嫌すぎて体調が本当に悪くなり、動けなくなってしまい、入学式当日は病院で点滴を打っていた。あの日は天気も嵐みたいに雨も強くて自分の心境を表してるみたいだった。
いま当時のことを思い出しても、胃がキューッとなって、息が苦しくなって、頭も痛く吐き気がしてくる。

初登校の日も知らない教室に、知らない先生、保育園の友達は少し知ってるけど半分以上知らない友達、名前も知らない人たちがたくさんいるのが絶望的だった。

人見知り=人に興味がある


大人になった今
人見知りってのは、人に興味があることだ。
と教えてもらったことがあり、確かにそうだ!
と納得したことがある。

どんな名前で、どんな性格で、どんなことをするんだろ…?
小さいながらも見た目や会話を集中して聴いて、母の後ろに隠れながら少しでも情報を取ろうとしていた。

極度の人見知りだった湧少年の母はすごく大変だっただろう。
そんな人見知りを克服させる為か、単純に母の育児の方針か興味かわからないが、習い事などいろんな新しい環境に入れられた。言い方が悪いがぶち込まれた感じ。

小学校1年生から中学校1年生まで通っていたラグビースクールは隣の市のスクールで、同じ学校の友達は一人もいない。
みどりの少年団というボーイ/ガールスカウトみたいな団体に入っていた時も、友達が一人もいない隣の市の団体。
小学校6年の春休みには1週間親元を離れて、大学生インストラクターと全国の小学生と旅をする「ちびっ子与論島」に参加した。
中学生で通っていた塾も、隣の市の塾で同じ学校の友達は一人もいない。

病院で点滴打つくらい極度の人見知りで、新しい環境が大の苦手だったのにも関わらず、母親のおかげ?で新しい環境で沢山の人に出会う機会があった。

人見知りや知らない恐怖よりも、どんな人なのか?どんな場所なのか?もっと知りたいもっと知りたい!という興味、関心、探求の欲の方が強くなった。
26-27歳の時には自転車でギター弾き語りの日本一周して、
全く知らない土地に飛び込みまくっていた。

31歳になった今でも、

31歳になった今でも新しい環境はこわいし人見知りも良くするけど、やっぱり人と出会う素晴らしさや感動の方が大きいし、新しい環境にはワクワクが止まらない。

もっともっと知りたいな。いろんなこと。



次は「恐怖の正体」の話を綴ろうかと思います。

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