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ハワイと蟹


事情がありハワイのオアフ島に行った。

オアフ島にはこれで3回目だった。前回、前々回は、観光客として、数泊の旅行を楽しんだ。少しばかり眩しすぎる太陽と真っ青な海と映えるスイーツに大きなショッピングセンター(どこも人口過多)がわたしの中の大まかなハワイのイメージだったので、今回滞在がきまったときも、特に気分は上がらなかった。

ひとまずホテルをチェックインして、街に出てみた。
日本人から絶大な人気を誇るリゾート地ハワイだが、今回の1ヶ月弱の滞在に至っては、日本人を目撃することがほとんどなかった。新鮮だ。今まで来たことない場所に来たみたい。
たかがコロナ、されどコロナ。コロナウイルス侵された地球ではあるけれど、にアメリカ本土やカナダ、メキシコからの観光客は結構来ていて、国際空港は依然として閑散としている訳ではなく、寧ろ賑わっていた。ファックコロナと颯爽とわたしの前を通り過ぎた太っちょの黒人に、遥か遠い異国からきた別種同然のわたしは安心感を覚えるのだった。


人見知りなわたしだけれど幸運に恵まれたわたしは、色々なことがあってゲストハウス初日からメキシコ人女性2人と仲良くなった。1人は教師でもう1人はナースで、わたしは流れで彼女たちと数日間を共にすることになった。途中からアメリカの青年が現れ、わたしたちは4人になった。
わたしたちはジャングルを彷徨い、いつの間にか付き合っているナースと青年がいちゃいちゃするのを横目に教師とふたりでピザを頬張ったり、ダンスをしたり、クラゲに刺されたり、青年がなんだかやけにわたしにお金を注ぎ込んでくるのに対しナースが痺れを切らしたり、いろいろなことが起きた。

怒涛の5日間を終え、友人宅へ行った。わたしたちは、散歩ばかりした。散歩するのが楽しかった。朝起きたらマンション付近の、友人チョイスのおすすめのカフェに行き、ビーチで本を読む。毎日のように、600円そこらで買える純豆腐定食で、それをテイクアウトし、公園やビーチで食べる。みんな、夕方のビーチは大好きだった。夕方は、昼間とは違う賑やかさをみせた。夕日の形や大きさも、海の色も変わらないけれど、何日経ってもその景色に飽きることはなかった。

夜も、きまって散歩した。わたしはとくに、夜の散歩が好きだった。昼間とはうって変わった夜の静かな波打ち際は、さっきまでの喧騒などどこにも無かったように、ただ波の音が静かに穏やかに響く。大きな木の影が揺れ、星がチラチラと光る。街灯は、まるで夜を横取りしないように、星の一部となって路を照らしている。

わたしは、ストレスにめっぽう弱い。海外旅行は好きなのだけれど、慣れていない環境に置かれると、必ずと言って良いほど体調を崩すのだ。ある日、バーでひとり膀胱炎で悶えていたことがあった。バーには人がたくさんいて、皆お酒を楽しんでいる中わたしはクランベリージュースを何杯も飲んで
いた。
そんな中一人の女性に話しかけられた。彼女はわたしのことを「ソウルが良い」「周波数が合う」「自然に愛されてる」とスピリチュアルな方向から語りかけてくれ、遊ぶ予定を立てた。

彼女はわたしを丘やら熱帯雨林の公園に連れて行ってくれた。おすすめのお店で溶けるツナサンドイッチを買ってくれて、「どう?溶けた?」と何回も訊ねてきた。滝を見に行ったのだけれど、水飛沫が上がっているにもかかわらず、瞬きもせずにじっと水の流れるさまを見つめる彼女は、自然と同化することを望んでいるように見えた。大らかな彼女にもいくつかの敵がいるようで(「蚊」だったり「マスク」だったり「男だったり」)、それらに悪態をついていたのが面白かった。

言語という壁がありながらも、するすると、心に溶けてくる。わたしも、彼女の前だと色々なことを話したくなった。

人とかかわっていると、しっくりくる人とこない人がいる。
あれはなんなのだろう、周波数とか、そういうものなのかな。
だって、いくら趣味が合おうと、しっくりこない時は永遠にこないもの。

あれ。では、いい人と過ごせたらどこでもいいのか?
実際、そうなのかもしれない。

けれど、土地それぞれによって、空気が違う。人ももちろん、土地の良さは拭えないと言いたい。

木の木目をまじまじ観察したり、巨大蟹を見つけて大興奮したり、肥えたフグをおびき寄せたり、面倒な恋愛に加担したり、静かな夜に耳を傾けたり、純豆腐に感動して通い詰めたり、自然に溶けて、蟻に噛まれたり…

その土地を、どういうふうに歩くかによって、全く違う色をみせるのだ。

わたしの住む東京も、いつか好きになれる日が来るのだろうか。

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