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きんの砂〜2.キンノコ堂(3)

 昨日は掃除と称した騒ぎを夕方まで続け、最後は里子の鍋で終わった。

 2人が帰ったあと、得馬は随分と長いこと風呂に入っていた。特に何を考えるまでもなく湯船に肩まで沈み、疲労感を覚えながらにユニットバスの白い無機質の天井を見ていた。この一月半、適当な食事と睡眠で体を酷使し毎日疲れ切っていたはずなのに、昨夜感じた疲労感はそれとはまったく別物だった。確かにもう動けないと思えるほど疲れているのだが、どこか爽快感がある奇妙な感覚。

 まるで、心が空になったように胸のあたりがガランどうに思たのだ。だが虚しいのではなく、余分な重みが消えたような、そんな軽さがあった。

 今朝起きるまでは、今日は昨日の分まで仕事をしようと思っていた。なのに目が覚めて、妙に整理された部屋と口を開けられたままの段ボールを見たら昨日のことを思い出して、休日に仕事のことを考えるのが急にバカらしくなってしまった。

 会社が用意した単身者用のアパートは間に合わせの家具家電がついていた。急な移動だったので服もそれほどなく、今のところは備え付けの収納家具に収まっている。余分なものがなく、心と同じくガランどうの状態だ。

 しばらくベッドに座り呆けた後、徐に行き場を無くしたような箱を見下ろす。情報管理やプログラミング、AIシステムの基礎専門書に紛れて古い本が数冊ある。すでに他界した作家の小説だ。生きていれば自分とそれほど変わらない年齢のはずだが、急な病により早逝した。生きていればこの先、どんな世界を見せてくれただろうかと思わせるプロットと大胆な文章構成。個性豊かな登場人物たち。印刷物に対して筆致というのもおかしいかもしれないが、その表現力は鮮烈で読むたびに違う意味にとれる。特に最後に命を扱った短編は、余命を知った作者本人の命の叫びといっていいかもしれない。

 とにかく無性に読みたくなる本なのだ。

 「珍しいな、お前みたいな職業が小説とは」驚いたことに、笠置もこの作者を知っていた。彼の評価は一言だけ。青い話。だった。確かに自分の周りでは漫画は読んでも小説を読む人間は少ない。得馬にしてみればどちらも同じ本なのに、読む読まないと分ける基準がわからない。

 箱から出したその本を主がまだいないテレビボードの片隅に置いた時、すでに今日の予定は仕事から散策に変わっていた。

 残念ながら目的の古書店は閉まっていたが、あの隣人の話ではまだ開いている時があるということだ。運が良ければ、一度くらいは開いている時に訪れることができるかもしれない。

 車窓から斜めに差し込む午後の光に、彼は目を瞬いた。まだ夕暮れまで時間がある。テレビボードが他の物の置き場となる前に、主を迎え入れなくては。

※※※※※※

 二日後の夕方、亞伽砂は店にいた。少し早目に退社し、明るいうちに台所に入ると湯を沸かしながら、テーブルでポストに放り込まれていた郵便物を確認する。シャッターは重く開け閉めが大変だというと、公宣がどこからかポストを買ってきて、店の前に置いてくれたのだ。木戸の支柱に鎖で固定し、鍵もかけて誰も中身を取れないようにもしてくれた。

 これまで調べたことで、祖父が古本屋の傍らで人から何かを預かる仕事をしていたらしいことがわかった。はっきりいえないのは、手紙の中身のほとんどが挨拶文や世間話めいたものだからだ。その中に時折感謝の言葉や、何かを送る手配などについて語られていた。それと、倉庫会社からの請求書や利用明細も送られてきていた。幸いにも記されていた利用料は少額で自動引き落としだったので、支払いの遅滞などはなさそうだが。

 いきなりドアを引く音がして、彼女はハッとした。

 「亞伽砂、俺だけど」公宣だ。ほっと胸を撫で下ろしながら鍵を開けてあげる。「表、閉まってたから」「ごめん、念のため鍵かけてた」「いいよ。その方がいい」と答える公宣の手をみれば、裏のコンビニで仕入れてきた弁当が下げられていた。そういう亞伽砂も来る途中で同じ店で弁当を買ってきて、テーブルの上に置いてある。

 「まず、先に渡しておくよ」亞伽砂の弁当に気づいて笑みを浮かべた公宣はそう言って、銀行の通帳とカードを出した。学生で時間があるからと記帳を頼んでおいたのだが、カードのうちの一枚はATMでは使えなかったので今日の昼間にまた銀行に行ってくれたのだ。通帳を受け取り、早速記帳された分を確認する。通帳へと振り込まれている相手先は多くが個人名で、手紙同様どれも聞いた覚えのない名ばかりだった。「カードはね、貸金庫のだって。俺じゃ見れないみたい」もとより暗証番号もわからず、使えるかどうかの確認だけだったので驚きはしない。貸金庫のカードとなれば、叔父が代理人として持つのが正しいのだろう。でも、銀行の通帳とカードをすぐに叔父の手に渡すのは気が引けた。思っていたよりも通帳に記された金額が多いからではない。通帳の存在が、祖父と振り込み主の信頼の記録に思えたからだ。

 店の鍵を預かるということは、この信頼をも預かることだと、通帳を見た亞伽砂は感じた。だから、長男でありながら鍵を託されなかった叔父には渡したくない。いつかそうなるであろう日が来るとしても、今はまだ。

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