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砥上の方に掴まりながら、「後悔先に立たず」という諺を痛感する秋山だった

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 4、金の鉤爪 銀の斧④


錐歌が書き換えたジャンプ・プログラムは、秋山の魔法とは違って機械的だった。

 TVドラマなどの回想シーンみたいに辺りが白い光に包まれたと思ったら、来る時に変身した市立体育館の用具入れ室にいた。

「すごい、便利だね」
「誰でも使えるわけじゃねぇ」
 砥上の背中から降り損ねた秋山の身体が、重たい音を立ててコンクリートの床に落ちる。
「あいつ、最後の微調整は人に投げやがった」
 頭でも打ちやしないかと様子を見たものの、元気そうなので砥上は積み重ねられたマットの影で人型に戻り、着替えを済ませた。

 住所を入れただけなのに砥上の荷物のある用具入れに戻って来れたのは、わずかばかりの力で秋山がコントロールしたおかげだった。

「でも優秀なんだね」
 自力で起き上がった秋山の腕を肩に回し、警戒しながら外に出る。
「それにいい人だ」

 魔界人のコミュニティと治安を守る立場であれほど荒れた現場を目にしにもかかわらず、怪我をした秋山を気遣い帰らせてくれた。重要参考人である彼が行方をくらますとは疑ってもいないのだ。

 裏口から外に出ると同時に、砥上は姿を消すペンダントを外した。

 車は施設の職員用の駐車場を拝借した。土曜日で出勤者も少ないはずだし、時々ジムに来た時に止めているが咎められたこともない。

 そろそろ手入れが必要な植栽に隠れるように置かれた愛車のロックを外し、助手席側で秋山の腕を降ろした。

「悪いな」
 ほうほうの体でドアを開け、痛みを堪えて車高が低くかつホールド性の高いシートに収まる。入るのには苦労したが、座るとその高いホールド性が物をいう。身体が包み込まれるおかげで落ち着くし、運転中の揺れも軽減されるのだ。

 運転席に砥上が座り、シフトレバー横のアクセサリートレイにペンダントを置いた。
「ナビになるっていってたけど、どういうこと」
「エンジン掛けてみろ」

 いわれた通りにスタートスイッチを押すと、起動したカーナビの地図画面が勝手にリモート操作され、市内の外れに近い場所を目的地に設定した。

「すげ。てっきりアイリスさんみたいに何かに投影とかされるかと思った」
「おい、アイリスってまさか」
 砥上の口から飛び出した思いがげない名前に勢いよく身体を起こしたものの、食い込んだ6点式ハーネスベルトの痛みに顔を顰めた。

 その様子を見ていた砥上の表情が切ないものになる。
「……」

 そうだ、すっかり忘れていたが砥上はひとりであの場所に来た。シェザーが出したという使いのアイリスはいなかった。

 彼女はどこに行ったのか。

 状況からも表情からも、砥上が何か知っているのは確かだ。
 すぐにでも質問したかった。しかし彼の、砥上の横顔がそれを拒否していた。

 車は国道に出ることなく、途中まで国道と平行に伸びている旧道を南西に向かって走りだした。

「家に帰ったあと」

 やがて前触れもなく、砥上は口を開いた。

「ここのジムに来ようと思ったんだ。うちの住宅団地の坂道を下がった信号でいきなり車に乗って来てさ」

 いつの間にかアイリスが車に乗っていた時のこと、道路脇のホテルから身投げした時の様子、そして気づいたら家の車庫の前に戻っていて、車のフロントバンパーに地図が描かれていたことを話した。

「シェザーに逆らえない、か」 

 自分が死んだというのに、満足げに微笑む顔を砥上は思い出す。ほんの1、2時間前のことなのに、ずいぶん昔のような気がした。

「シェザーに真名を知られたんだ」
「マナって、秋山君の」

 少しの間口を閉じ、秋山は答えた。

「違う。あの魔名は魔力のある名。特別だ。いま言うマナは真の名と書いて真名。命ある存在の魂に刻まれた名前だ。俺にもあるしお前にもある」

 だが真名は普通、本人でさえ気づかない。

「真名を知るためには魂を覗き、魂自身に尋ねなければならないって聞いたぜ」 車は市街地から離れて、のどかな茶畑のある高台の道に入っていった。
「それはどうやんの」
 もし自分が考えているように、死んだ後の幽霊の状態を魂と呼ぶのなら、魂を除くというのはとんでもない苦痛が伴うのではないだろうかと砥上は思った。

「さあな。俺の使う魔法はどれも子供でもできるモンだし、魔道具に頼るところが大きい。そういった大きな魔法は本格的な魔法を長く研究しなくちゃならねぇんじゃないのか」
 だがきっと、あの魔法陣を描いたシェザーの家の魔法使い・ヘレナなら出来るはずだと続ける。

「で真名を知られると、どうなる」
「知られた相手に絶対服従」 

 カーナビに導かれるまま未舗装の狭い私道を行くと、突き当たりの空き地に見慣れた青みがかった色の車が止まっていた。

「俺の車の隣でいいぜ」

 ハンドルを大きく回し車の鼻先から円を描くように回り込むと、ギアをバックに入れて慎重にに車を下げる。

 下草は生えているが、思ったより地は平坦だ。

「つうか、ほぼ操り人形だな。強力な催眠術というよりも、抗えようのない強制のようなモンじゃないか」
「それはさ、死ねっていわれれば死んじゃうわけ?」

 シフトレバーをPに入れて向き直った。

「まあ、そうだな。でもアイリスは自分がシェザーから自由になるために死んだ。自分でそういったんだろ」

 彼女はシェザーの支配から逃れるために死を選んだ。絶対服従の状態でどうやったのか知らないが、とにかく彼女はやってのけたのだ。

「お前のせいじゃない」
「それはそうだけど」

 自分を信じて死んだ。その彼女の死に見合うだけのことをしたのだろうか。

  砥上は奥歯を噛んだ。
「あの子が錐歌ってひとに捕まったのって、いいことなの」
「あの子って、”エルザス”のことか」

 何としてでも自分を殺そうとした銀色の騎士は、秋山にはどうしても女の子には見えなかった。砥上が見たという髪を短くした少女の姿も見ていない。それも見えなかったのだ。その時すでに秋山の魔力は枯渇していた。だが果たして魔力があってもその少女を目にすることはできただろうか。

 魂と幽霊は違うと教えられてきた。
 鵺狩りの時もそうだったが、砥上には自分とは違うものが見えている。

「どう考えてもあの子がアイリスのいっていた「助けたい子」だと思うんだよね」

 確かに状況的に見て”エルザス”としか思えない。ただ、甲冑のサイズも装飾も女性的ではあったものの、秋山はそうだと言い切れなかった。

「魔名はそれだけで貴重な存在だ。そう簡単には消滅させるようなことはしないと思うがな」

 だが否定もしない。

 砥上が見て、そうだと思ったのならそうに違いない。こうして彼を助け、シェザーを手に掛けた以上逃げ場はないのだ。

 砥上には見えて、自分には見えない。それだけだ。

「そうか。だったら、まあいいか」
 秋山の口から出た『消滅』という言葉の響きにどきりとしたが、少しだけ安堵した。

「あんたは優しそうだから、すぐには無理かもね」

 意味不明だったアイリスの台詞も、いまならわかる。

 錐歌の手の中のカードに”エルザス”が収まった時、周囲には誰もいなかった。アイリスを連れて行ったような死神が姿を表さなかったということは、”エルザス”はまだ死んでいないという事だ。だからまだ、アイリスの待つあの世にはいかないのだ。

 少なくとも約束は守ることができた。

「ひとりでニヤついて、気持ち悪りぃ奴だな。大体、誰のせいで俺がこんな目に遭ってると思ってるんだ」
「え俺? もしかして」

「シェザーが会いたがってるわ」確かにアイリスはそういった。あのゲームセンターでの出来事を根に持っているのなら、シェザーは秋山にも会いたかったはずだ。だから今回のことは自分だけのせいではないはずだ。

「もしかしなくてもお前のせいだわ。俺はお前を誘き寄せる餌にされたんだぜ」「でも秋山君だって」

「だいたい何で来たんだよ」
「何でって」

 鬱陶しいような口調に、心なしか距離を取る。

「秋山君にはいつも助けられてるしさ、行けば何とかなると思ったんだよ」
「馬鹿野郎、魔力もないただのでっけぇ鳥に何ができるっつんだよ」
「いいじゃん、実際何とかなったんだし」
「よくねぇわ。いつまでもビギナーズラックに頼ってんじゃねぇ。もういいから、お前は帰れ」

 秋山はシートベルトを外し、ドアに手をかけた。この深いシートから立ち上がるには、少し息を止めないときついかもしれない。

 歩くのもやっとの怪我人を、ここまで来て放っておける筈がない。そう感じた途端、砥上の口が勝手に動いた。

「止まれ、オリビエッタ」

 秋山の身体が硬直した。

 効果があったのか、ついでに息も止まっているんじゃないだろうか。一瞬不安になりながらも、砥上もシートベルトを外した。

 暑さのせいか、一気に額に吹き出した冷や汗が秋山の目に入った。

 我にかえると同時に振り返った彼の手が、砥上の首を掴む。
「馬鹿野郎!」
 今日何度目の「馬鹿野郎」か。冷静でありながら重苦しいその声で、秋山が恐ろしく見える。

 銀の甲冑と戦っている時よりもだ。

「二度と気安くその名前を呼ぶな」
 容赦なく締め付けてくる彼の指に砥上の喉はいまにも潰されそうだ。頸動脈が圧迫され、顳顬が脈打ち息ができない。

「わ……わはった」

 やっとのことで絞り出した声は、自分でも驚くほど嗄れている。このままだと間違いなく気を失う。そうしたらまた、暴走してしまうのか? 今度は彼を傷つけるのか? せっかく助けたのに。

「わはったから……やめて」

 皮膚が破れるほどさらに深く爪が喰い込んだかと思うと、次の瞬間には秋山の手はあっさりと喉から離れた。

「わかったか。名前を疎かにすると、死ぬぞ」

 咳き込む砥上を冷たく見下ろす。鳥の聴覚でシェザーとの会話を聞いていたのだ。口にしたのがフルネームでないことと、日本人の彼の発音が下手くそなのが幸いだった。

「でも」

 肩で息を整えながら、砥上は続けた。

「手当ぐらいさせてよ」
「まだ言うのか」
 呆れたような口調だが、声音はいつもの調子に戻っている。
「だって俺、助けられてばっかじゃん」

 手で摩る喉元から目を離す。決して色白ではない肌に、くっきりとした秋山の手形があった。

「実際よえぇだろ」

 残るほどではないが、すぐには消えないだろう。ジムに行くにしても家に帰るにしても目立つに違いない。

「まだいろいろ慣れてないからさ」
 舌打ちをする。
「仕方ねぇな」

 許しを得たとばかりにエンジンを切り運転席から出ると、砥上は足取りも軽く助手席側回った。その様はまるで飼い主に呼ばれた子犬そのもの。いや実際は鳥なんだから、雛鳥の刷り込みに近いのか。

「ほら、掴まりなよ」
 目の前に出された手を握り返すと、外に引っ張り出された。
「部屋はどこ」
「そっちだ」
 頭半分ほど背の低い砥上の肩に腕を預け、半ば引きずられるようにして移動する。

 本当に、どうしてこいつに声をかけてしまったんだろうかと秋山は小さくため息をついた。

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