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何を最も大事にするか

仲良かった(と思っていた)人とまた?喧嘩?をした

でもそれはもはや喧嘩ではなくて、
ただの一方的で理不尽な拒絶と
それに対して懲りずに熱心に関わることへの諦めだったのだと思う

周りからしてみたら2人はまたそんなことやってるのみたいに思われるのかもしれないけれど、
自分にしてみれば「自分のことを蔑する人のことをわざわざ考えてまた仲良くしてあげるなんてめんどくさい、流石にもう疲れた」だった
「仲良くしてあげる」とか思う時点でいつの間にかこの関係性の天秤は傾いていたのかもしれない

それでもたくさん話したのには間違いないし、たくさんの思い出があるし、他の友達とは別のベクトルでとても仲良いと思っていたから
できることならこんな形でこの関係が破綻することには勿体なさを感じてしまったりもした

あーあ、でも一度発してしまった言葉は取り消せないから。あなたの軽く放った言葉がどんなに私の心を抉ったかなんて知る由もないだろうし、その後の扱いですら傷つけていることなんて微塵も感じてないんだろうから、もういいんだ。ほんとにもういいんだ。
今までだったらそれでもまだ仲良くできるはずと奮闘していたかもしれないけど、自分のことを傷つける人、大切にしてくれない人なんかとわざわざ関わっている暇はない、私は自分が好きな人に時間を割いていたいと強く感じた。もう努力して関係を改善させる必要すらないと思った。

だからこれ以上自分がその言葉に囚われないように「許す」ことにするよ。
なんかの本でこの言葉を聞いて、腑に落ちた。
自分から出来事を切り離して穏やかに生活していくために許す。

仲が良かったからこそ相手を軽く扱ってしまえることへの恐怖と嫌悪を抱きながら、自分への教訓とすることにしよう。
何事も期待と過信が絶望を生む。

こんなネガティブをネットに落としておきたい訳ではないけれど、嫌われることと別れることを心底恐怖に感じている私からしたら、むしろちょっと心が軽くなった気がした。
「お寿司でさえ嫌いな人がいるのに全員から好かれるのは無理」はとても真実で、だから自分の感情を切り刻んでまで八方美人に振る舞う必要はなくて、今回の発見なのだと思う。
今までに感謝しつつこれからも自分の人生を過ごしていこう。しなっても折れない竹のように。

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