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モチベーションの在り処

「明日死ぬかもしれない」

って意識しておくことってやっぱり重要なんだよね、って今日ふと思った。
(かれこれ思ったのは1週間前。言語化したのは今日。)

前に「あした死ぬかもよ?」って本を読んで、確かにそうだよなぁと思わされてから時間は経ったものの、定期的にこのことを自分にリマインドしている気がする。

だから、というのもあれだけど、
自分の人生において「つまらない」時間があること自体嫌だからか、
基本的に「つまらない」時間はない。存在させておきたくない。
そんで、どんなことをしていても全部楽しくなっちゃう。
自分でもびっくりするくらい世界がキラキラして見えてしまう。
(だから興味が絞れないんだけど。)

よく考えれば学生時代も
「この先生きら~い」とか
「この授業ダルいから寝よ~」とかいうこともなく、
どんなにみんなが「つまらない」と思ってたとしても、
自分はどの授業も先生も大好きだったし、「この時間を誰よりも充実させてやるぞ」とまで思っていた。
たぶん勝手に「面白み」を見出していたし、それが好きだった。
きっとどんなことにも面白さは隠れてあるし、
「つまらない」という理由で何もしないのは時間がもったいない!!
と思ってたし、今も思ってる。
つまり自分はとことん欲張りなのかもしれない。

だからこそ、「明日死ぬかもしれない」ということを思い返すことで、
「よっしゃ、今日を思いっきり充実させよう!」となるし、
同時にモチベーションもついてくる。
あと毎日精一杯生きてたんだって思えるのが好き。
だからやっぱり欲張りなのかも。

でももちろん、こんな考えでずっと生きていると自分自身に疲れる気もしてるよね。
たまには「こんな日もあるよね」てのを受け入れてあげないといけないこともわかってるし、そんな日もある。
完璧主義すぎるのは自分の首を絞めることになっちゃう。

まあ、でも、それでも、
やっぱり後悔はしたくないので!
(とはいいつつ後悔は定期的にやってくるけど)
前向きに、楽しく、有意義に、効率的に?時間を使いたいんです!
という姿勢は、姿勢だけは、忘れないでいます。
それが自分の途絶えないモチベーションの要因のひとつかも。って思った。
他にもいろいろあるんだろうけど。


(余談)
なんか欲求のうちの一つに「充実欲求」てのがあるんだってさ。
なんかで読んだ。おもしろいから机の前に付箋に書いたのを貼ってる。

(余談2)
だんだん書きたいことのストックが溜まってきたのに、下書きに軽いメモだけ残して先を書き進めるのをあきらめてる節ある。別にいいんだけど。

(余談3)
レポートもこんなスラスラ字数が書けたらいいんですけどね。
まあ、今日は大きな課題が3個終わったので良しとしよう。
おいしいコーヒーと、適度に集中できるカフェミュージックと、頑張ってる周りの人に感化されるのは重要。あとおしりが痛くならない椅子であることも重要。

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