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オホーツクへの旅

北海道には2回旅をしたことがある。そのうち最初のは1996年8月末から9月初旬にかけてかみさんと行ったもので、ライトバンに自転車を2台積んで出掛けた。

1日目は静岡から新潟まで高速で行き、新潟から小樽までフェリーに乗って一泊、2日目は夕方に到着した小樽で一泊、3日目に小樽から高速に乗って旭川まで移動し、旭川市内を少し見たあと、下道で稚内まで、この日だけで約400km走って投宿した。途中、士別という小さな町で食べた野菜ラーメンがひどく旨かったことをよく覚えている。

4日目は稚内から宗谷岬経由で浜頓別まで動いた。涼しいので稚内のデパート(西友ではなくて西條だった)でトレーナーか何かを買い求めた。宗谷岬の駐車場に面した浅瀬で魚がライズしているので、フライを投げてみたらマルタウグイの小さいのが釣れた。

猿払経由で浜頓別に到着して遅い昼飯を食べようとして店に入ったら、9月の頭だというのにもうストーブをつけていて、びっくりした記憶がある。ま、確かに肌寒くはあったのだけれど。ストーブを意識しながら、ゴルゴ13のコミックを読みつつ、そば定食か何かを食べた。

浜頓別では宿を変えて2泊したのだが、旅の5日目に、稚内のホテルにヘリーハンセンのウインドブレーカーを忘れてきたことに気が付いて、取りに戻った。行きは山中のあまり車通りのないルートを通っていたので、途中我慢できなくなって路傍で用を足したとき、茂みの中でガサガサ動く音がして肝をつぶした。ヒグマじゃないかと思ったのだ。

これに懲りて稚内からの帰路は、前日と同じオホーツク海沿いの道を戻った。浜頓別では川のほとりでまたフライロッドを出したが、蚊が多くてすぐに諦めた。とんでもない量の蚊が寄ってくるのだ。

浜頓別での2日目、旅の5日目の夕は雨が降った。クッチャロ湖の周辺とかを自転車で見て回っているうちに寒い中で夕飯にあぶれそうになって、なんとか一軒やっている飲み屋さんを見つけ、サンマ定食を食べたのだが、これがやたらに旨かったのであった。

旅の6日目はオホーツク海沿いに南下した。単調な道だったのであまり強く記憶に残っているものはないが、途中、ホタテの貝殻を10mくらいの高さまで積み上げているところがあって、凄い臭いがしていたのに驚いたことがある。

宿は紋別にとった。漁港に面したツインの部屋は眺めも良くて快適だった。毎日宿を変えて荷物を出し入れすることに少々疲れてきたこともあり、紋別では同じホテルに2泊投宿した。1日目の夕食は駅前の食堂でカニを食べた。

7日目はホテルに荷物を置いて、カーサイクリングに出掛けた。サロマ湖の南岸まで行って、芭露という駅の跡地に立ち寄り、ワッカ原生花園では自転車を組み立てて、ネイチャーセンターから先、車が侵入できない原生花園の中の舗装路をサイクリングした。

その雰囲気はまったく独特で、たまに専用の園内バスが近付いてくるほかは歩く人も誰もいないので、われわれは広大なサロマ湖の砂洲の上でまったく孤独だった。

ここへ来る途中で何かがあって、われわれはもうこの世の人ではなく、お花畑の中を進んでいるというような、そんな幻想的な感覚があった。

しかし砂洲の先端付近ではまた夥しい蚊の襲撃に会い、長くはいられなかった。われわれはまた原生花園の中をペダルを漕いで車のところまで戻った。

紋別に戻ってから、2日目の夜も同じ食堂でカニか何かを食べた。そのあと、喫茶店に行ってホットコーヒーを頼んだら、ミルクの代わりに生クリームが大量に出てきたので驚いた。それじゃ、ウインナコーヒーじゃないか。

ともかく北海道は乳製品が新鮮で旨い。この日もそうだったと思うが、コンビニで買ったアイスクリームも内地と全然違う出来なのであった。小樽で食べた練乳のアイスも忘れられないくらい旨かった。

8日目はオホーツクの海岸線を離れた。高速経由で室蘭まで移動し、新潟の直江津に向かうフェリーに乗った。太平洋岸を航行しているあいだはけっこう揺れた。そのうち静かになったので、日本海側に入ったことがわかった。

9日目はフェリーの船上で大半の時を過ごし、夕刻に直江津に到着してからは車で少し走って長野市の郊外に投宿した。10日目は志賀高原を通って草津の温泉郷をかすめ、野反湖に立ち寄ってから、帰途についた。

要するに9泊10日の旅だったのだが、その中でいちばん印象に残ったのは、浜頓別の小さな街と紋別の漁港の界隈、サロマ湖の周辺だった。機会があればぜひまた訪れてみたいと思っている。でもそうそうは行けないので、ストリートビューで少し変わったあの辺りを眺めてみたりしている。

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