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電動アシスト自転車異論

あくまで個人的な偏見だということは自覚しているが、これまで60数年間生きてきて、もっとも不快な発明のひとつは電動アシスト自転車である。

坂の多いところで軽快車を乗らなければならない人々や、子供を乗せてなおかつ荷物を運ばなければならない方々にとって、これがどれほど役立つかは重々承知しているつもりなのだが。

電動アシスト自転車ではなく、電動原付ならいささかもそんなことはないのだけどね。ことは、それが自転車の範疇に含まれるがために、複雑化しているのである。

教えてもらったところによると、そもそも電動アシスト自転車の開発と市場への投入には、次のような事情があったらしい。

いわゆるラッタッタのような女性向の原付(ソフトバイク)が市販されるようになって、これが爆発的人気を得た。

しかしまもなく道交法が改正されて、原付もヘルメット着用が義務付けとなった。そのため、女性のソフトバイク需要が激減した。なんとなれば、ヘルメットの着用義務化で乗車スタイルが格好悪くなり、ヘアスタイルも乱れるようになったからなのである。

そこでメーカーは一計を案じた。自転車なら(当時は)ヘルメットが義務化されてはいない。子供を乗せることもできる。従って主なターゲット層である女性には都合がいい。おまけに自転車には免許が不要だから、原付よりも格段に広いターゲット層を対象とすることができる。

それゆえ、自転車を電動アシスト化して、準原付的な乗り物に仕立てるというコンセプトが実現に向けて始動化されたのであった。その事情をよく物語るように、最初に電動アシスト自転車を市販化したのは、自転車メーカーではなく、オートバイのメーカーであった。

つい最近、自転車のヘルメットは努力義務化されたが、これが電動アシスト自転車の台数にどういう影響を与えるかが興味深い。また、電動アシスト自転車は平均速度がふつうの自転車よりも高く、一時停止を守らない傾向が目立つというデータもあるようだ。

発進加速が楽なのだから、一時停止を守るのはふつうの自転車より容易なのではないかと思えるが、おそらくはバッテリーの消耗を嫌ってそういう傾向になるのではないかと考えられる。ため息。電動アシスト自転車の運転者の平均的な安全意識は高いとは言えないだろう。

加えて、電動自転車の質量は通常の自転車よりも大きい。モーターや重いバッテリーを備えているのだから当然のことだ。

そういう質量の比較的大きな乗り物が、いわゆる自歩道内も走行するということに、なんだかなあという思いがあるのである。

それでも、そういうものが生きてゆくために、生活のために必要であるという事情もあろうから、一般的な軽快車タイプの電動アシスト自転車にはまだなんとなく「仕方がないんだろうな」というような思いもある。

そういう情状酌量の気分がほとんど起こらないのは、スポーツタイプの電動アシストバイクである。これが最近とみに増えてきた。

これも偏見だということはよく承知しているが、電動アシスト付スポーツバイクがどうしても好きになれないのは、そこに「風俗」や「買春」や「バイアグラ」のような匂いを感じるからである。

本来は自分の心魂体の努力によって獲得する快感を、「カネ」や「ドラッグ」のようなもので贖う意識に似たものを見出してしまうからなのである。

最初からエンジンの代わりに電動機を積んだモーターサイクルなら、全然そんなことはない。これらは最初から自転車の範疇ではないからだ。むしろ動力系から騒音が著しく減ったというような利点もあるが、電動オートバイが一般化しないのは、そもそもオートバイはエンジン音が魅力の乗り物だからであろう。

旧い自転車仲間が、かつて自分ではヒルクライムや押上げをせずにリフトで山頂に行って下るだけのダウンヒルバイクを「あれは風俗だ」と言っていたが、同じことが電動アシスト付スポーツバイクに当てはまるのではないかと思っている。

あまり好き嫌いを言うのは好みではないが、電動アシストスポーツサイクルに関しては、なんとも言えない強い抵抗感がある。

だから、これに抵抗感を感じない人は、そもそも無動力のスポーツサイクルを熱烈に愛好する層とは違う範疇の人々であろうかと思う。

旧いタイプの自転車乗りは、自転車部品の共通化された規格や、DIYでメンテナンスできる整備性などにも魅力を感じているものだが、今日びの電動アシストスポーツサイクルに乗るタイプの人々は、そういうものにも関心は薄かろうと想像するのである。

バッテリーやモーターが劣化したら、メンテナンスするのではなく、車体そのものを新たに買い直す、というような志向であろう。

機械が進歩すると、人間の能力は後退するのである。


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