なぜ自転車の旅人は増えないのか
微増くらいはしているだろうが、ここしばらく続いた自転車ブームの後でも自転車の旅人が増えたという気配はほとんどない。
街道筋で自転車の旅人を見かけることは少ない。ロードバイクに乗ってサクサク走っているサイクリストはたくさんいる。しかし彼らはほとんどの場合、荷物というものを持っていない。だから、家から出発して、家に向かって走っているのだということがよく分かる。
旅をするということは、もちろん例外もたくさんあるが、多くの場合、日本人の国民性にあまり合っていないのではないかと思われる。
大体、平均的な日本人は団体行動が好きだ。皆で同じ方向を向き、同じ行動をし、同じ結論に至ることを好む。最近でこそ多様性や個性が重要だと言われるものの、それはほとんどの場合言葉だけのポーズであって、実際には枠から外れた人間は距離を置いて見られることが少なくない。
自転車のアクティビティに関しても、人気なのはイベントだ。何十人、何百人が集まって「〇〇〇一周」とか「〇〇〇センチュリーライド」とかいうものをやりたがり、実際そういうイベントは募集開始直後に定員一杯となるくらいの人気である。
私から見ると不思議である。自転車の団体行動はせいぜい10台以下程度でやらないと何かと不都合だし、本当に愉しくやろうと思ったら数台ぐらいが関の山なのだ。
皆でぞろぞろ自転車に乗っても、好きなところで気楽に止まることができるという自転車特有の機動性や利便性を活かすことはほとんどできないし、だいたいが走りにくい。自転車は集団行動には向かないのである。
多くの参加者を集める自転車イベントは地方の観光創生の新しい波のように言われることが多いが、はっきり言えばそれは大量消費型観光行動の交通手段であるバスが自転車に置き換わっただけで、本質はあまり変わっていないのだ。
それでも「〇〇〇一周」をしてきたとか、「〇〇〇センチュリーライド」を完走してきたというようなことは、他人に説明しやすい。参加者自身にも自分に納得できる達成感がある。
誰にでも分かりやすい成果というものも、こうしたイベントには欠かせないものだ。日本人はまた、客観的な達成指標というものが好きである。
自分一人で計画し、自分一人で実行し、自分一人でその意味について考える「旅」は、多くの人にとってはハイブロー過ぎるのである。カネと体力を使っても、分かりやすい成果や完走証やメダルがもらえるわけではない。
かくして、旅に少しだけ似ているイベントは流行るが、本当の旅人はいっこうに増えて行かないという現象が発生する。一人でやる旅が増えるほど、社会も人間も成熟していないからなのだ。
だからこれからも、自転車の旅人は少数派だろう。自転車の大げさなイベントはまだまだ続くだろう。
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