見出し画像

甲府盆地UFOポタリング

約束の午前9時半を少し回った頃に、出力過剰T君は軽の箱バンに乗って現れた。今日11月26日は彼の車に私のBSモールトンも積んでもらって、甲府盆地にポタリング=スローサイクリングに出掛けるのである。

今回の主なテーマは三つ。
●甲府盆地辺縁の集落の中を多少なりとも走ること。
●1975年の「UFO甲府事件」の現場となった辺りを訪れること。
●走行後にメガ盛りで有名な「お食事処ぼんち」で夕食を喫すること。

T君が愛車の荷台に手際よく私のBSモールトンと自身のダホンを積み込んで固定してくれ、10時頃に出発。東名清水ICから高速に入り、連絡路を経て新東名の手前で中部横断道に入る。流れもよくスイスイ進む。

そのまま進めば、1時間とちょっとぐらいで甲府盆地に達するのであるが、身延で一つ用事があり、身延ICでいったん降りてもらった。

身延駅前の「栄昇堂」というところで、身延まんじゅうを買うのである。午前11時頃であったが、すでに店内はかなり賑わっていた。ゲットした身延まんじゅう2箱を保冷バッグに入れ、移動中やサイクリング中に車内で傷まないようにしておく。一つは自家消費用、もう一つはエアコンの譲渡の件などでお世話になった方に持っていくつもりなのだ。

再び身延ICから中部横断道を北上する。最短は増穂ICまで走ってしまうことだが、そうすると有料区間に入るために、わずか数百m走るために400円取られてしまうから、無料区間の終わりの六郷(ろくごう)ICで降り、富士川を渡って国道52号を北進する。

甲府盆地に出て間もなく、道の駅富士川のところで橋を渡って東岸へ。ほどなくして、車をデポしておく甲斐上野駅の駅前に到着。そそくさと自転車の準備をする。時刻は正午頃であったと思う。

甲斐上野駅を出発しては駅前の道を東進し、緩やかに登りながら道林という集落を抜け、大塚小学校のある次の集落に達する。この集落の内部がなかなかに鄙びていていい雰囲気なのだ。

この集落を見下ろす高台に金川曽根広域農道という道路が通っていて、道幅が広い割には交通量もさほど多くはなく、何より甲府盆地の展望が開けたところがある。拙著『静岡県サイクルツーリングガイド』にも出てくるルートである(山梨のルートも含まれるガイド本だった)。

そんなことをT君に説明したら、「そこまで行きましょう」とのたまった。私が久方ぶりのサイクリングでだいぶ脚力が衰えていることを知ってか知らぬか、私にトレーニングをさせようという魂胆である。

まあいいか、坂がきついことはわかっているが、辛くなったら降りて押せばいいし、と思い、そちらに向かう。小学校のところからは、約25mほどの標高差になる。案の定、途中からはややジグザグに登ることとなった。

それでも天気が良かったこともあって、眺望は素晴らしかった。下の画像のような具合である。

中央やや右にあるのは八ヶ岳。左側は南アルプスとアルプス前衛。画像ではほとんどわからないが、笛吹川を渡る身延線の鉄橋も写っている。

この展望地から再び大塚の集落の中に下り、今度は大塚北区にある伊勢塚古墳というところに立ち寄る。「塚」というような文字が地名に付くところには、古墳が多いようだ。

ここも眺めの良いところで、甲府盆地方面だけでなく、甲府盆地と御坂山地のあいだにある曽根丘陵がよく見渡せるようになっている。

伊勢塚古墳のところ。小鳥が多かった。以前にこの近くでエナガを見たことがあるが、今回見た鳥はエナガではないようだった。
伊勢塚古墳の石段の途中から曽根丘陵を遠望する。ずっと遠くにあるのは御坂山地。
御坂山地の向こうにちょこっとだけ顔を出す富士山。甲府盆地の中央部からのほうがよく見える。

伊勢塚古墳の傍らの道をさらに東進し、大塚古墳を眺めながら道は下りに転ずる。降りた先は浅利という集落だ。この集落の中に「薬袋」という表札をT君が見つけ、何と読むのだろうと二人して考えた。

今調べたら、「みない」と読むそうで、甲斐に多い地名らしい。一説には武田信玄公に由来する苗字とされる。

その辺りで、集落の軒端の向こうに雪を被った南アルプスの遠景を望めるところがあった。思わず自転車を止めてシャッターを切る。

市川三郷町の浅利という集落の辺り。

浅利という集落を北進で抜けると、「道の駅とよとみ」のところに出る。ここで昼飯を買うつもりで中に入ってBSモールトンを押すと、何やらブレーキの具合がおかしい。

レバーが引かれたままの状態になっており、前輪に制動がかかっている。T君にも見てもらったが、何かがつっかかっていてブレーキレバーが完全には元に戻らないらしく、現場で直すのは難しそうだ。ワイヤーをいったん外す必要がありそう。そこでサイドプルブレーキのリリースレバーを緩めてみたら、とりあえず走行できるようになったので、応急的にはそれで良しとする。

さて昼飯だ。夕飯にメガ盛りを食べる予定であるので、少し食べれば良い。
パックに入った「焼き鳥弁当」を2名分買ってきて、T君とともに食す。時刻ははや13時。17時には暗くなり始めることを考えると、あまりのんびりもしていられない。

「道の駅とよとみ」を出てからは、笛吹川を渡り、橋のたもとから堤防上の道を東北東へと進む。堤防の下に自転車道があるのが見えるが、降りるスロープが見当たらないので、そのまま堤防上の舗装路を進む。山梨県畜産酪農技術センターの横を通り過ぎる。

そのうちに堤防上の道が未舗装路になってしまったので、堤防ののり面を自転車を持って下り、自転車道に出る。途中から荒川の堤防上になり、渡れる最初の橋を渡る。

工業団地みたいなところの中を通って、北北東へと進むが、新しい高架道路が出来ていることもあって、現在地が国土地理院地図では読み取れない。

しばらく進んだところでスタジアムらしき構造物が見えてきたので、小瀬スポーツ公園の東側に来たようであった。T君がスマホで現在位置を割り出してくれたところ、間違いなかった。

ここで公園の駐車場に入り、しばしトイレ休憩。ここから先は「UFO甲府事件」の現地までもう遠くない。

現地に着いたときはもう14時半を回っていた。「UFO甲府事件」の詳細についてはネットにさまざまな情報があるので、興味のある方はそちらを参照されたい。

事件があったとされるのは1975年の2月で、もはや48年も前のことである。UFOが着陸したらしい現場も現在では新しい住宅地になっているもようで、昔日のブドウ畑の面影は希薄になっているが、少年たちがUFOから隠れるように逃げ込んだという福王寺の墓地は遠目に見ることができた。

今ではすっかり郊外化しているが、当時はもっとひと気のないところであったのだろう。しかし、それにしても、人目につきやすいところに当該のUFOは現れたものだと思う。

少年たち以外にも、保険外交員の女性が異様な風体の宇宙人らしき背の低いヒューマノイドを見たという辺りにも行ってみた。昔ながらの狭い路地で、確かにここに変なヒューマノイドがいたら、肝をつぶすだろうと思うような道だった。

少年たちがUFOから逃れるように入り込んだというお寺の敷地。

さて、現地周辺を探訪しているうちに、時刻はもう15時を過ぎてしまった。秋の日が短いことを考えると、そうゆっくりもしていられず、T君と2人、帰途につく。

本来なら旧道に沿って存在する昔ながらの集落を辿って、甲斐上野駅前に戻りたいところであるが、時間が押していてそうも言っておられず、県道クラスの道を中心に進む。

市街地をしばらく走ったあと、身延線の小井川駅のところでややのどかな田園の道に出る。ここを身延線に沿って南下し、東花輪の駅に至る。身延線に乗車したときに覚えていたサイロのような構造物が見えたことで、あそこが東花輪の駅であることが分かった。

東花輪の駅も比較的昔のままの風情が保たれていて、好もしかった。木製の長いベンチが残されていた。ここでもトイレ小休止。

東花輪の駅に西側から県道3号線をひたすら南下。笛吹川を渡る橋の上り坂が見えてきたところでほっとする。実は、最近距離を乗っていなかったこともあり、だいぶお尻が痛くなってきていたのであった。

甲斐上野の駅前に戻ったのは、ほぼ17時。何とかライトを点けずに済んだ。
「あと700メートルで走行距離30キロですよ」とT君が言うが、もうこれ以上走る気力はない。撤収にかかる。これからあとも「メガ盛り」を食らうという大事業があるのだ。

自転車を荷台に積み、薄暮の中の県道を北上する。私は助手席でマップを見ている。と、忘れ物はないなと確認している最中、マウンテンパーカーのポケットをまさぐったら、「う、スマホがない」と慌てる。しかし、よく考えたら、マップを見るために手にスマホを持っていたのであった。左手から右手に持ち替えたときにそれを失念したと思われる。歳はとりたくないのう。

暮色いや増す甲府の市街地を走り抜け、目当ての「お食事処ぼんち」に辿り着いたのは17時40分頃。さあ食うぞ、とやる気だけは満々である。

座敷の席に案内されてメニューを渡される。とてつもない量が出てくることは分かりきっているので、全部食いきれないのは必定、家から2名分のお持ち帰り用タッパーを持ってきている。

私は900円の「ミックス丼」を頼んだのだが、T君は1600円の「ミックスカツカレー」にすると言う。

「1000円を超えるメニューはますますヤバイらしいぞ。いいのか」
「でも見たいでしょ。いいですよ」そういう具合で、われわれは注文した品が来るのを待った。

そして以下のようなものがわれわれの眼前に現れたのであった。

これは私が注文したミックス丼。大きさが分かるように眼鏡を置いてみた。
T君が頼んだ「ミックスカツカレー」。暴力的なまでの量である。皿の直径は40cmくらいあった。

上記画像のような具合であるから、2人とも全部食うのは早々に諦めた。下手をすると病院行になってしまう。

それでもしばらくは粛々と箸とスプーンを動かし続け、私は6割がた食べたところで、T君はカツと白飯の部分を除きカレーとカレーがかかった白飯を食べ切ったところでギブアップ。

私が残した部分はカツと飯ともども大き目のタッパーに収まったが、T君にあげた同じタッパーには、カツしか入らなかった。残りの白飯を持ち帰るために、彼はお店に持ち帰り用のケースを頼まねばならなかった。

ぐ、ぐるじい、という感じでわれわれが小休止していると、若者5、6名のグループが入ってきて、やる気満々である。空になったT君の皿を見て「それは何ですか」と訊いてきた。「ミックスカツカレーですよ」と彼が説明すると、それにしようかという声が聞こえてきた。

頑張ってください、と若者たちに声を掛け、勘定を済ませてわれわれは店を出た。あまり下を向きたくない感じではあった。

帰路もT君の運転で、竜王の市街地を横切り、白根ICから中部横断道に入った。店の駐車場で乗る前にT君が言ったのだが、持ち帰り飯のあまりの量に、「なんか荷物を積むようです」とのことであった。

清水に着いたのは19時半を回った頃。2人の行きつけのカフェに立ち寄り、旨いコーヒーで人心地つく。

「宇宙人には会えましたか」とマスター氏が訊いてくれたが、ある意味、あのボリュームの食事のほうが人間を超えていた。人間の食える量ではなかったのだ。

翌朝、つまり今朝、持ち帰ったカツと飯をかみさんが3合メスティンで温めてくれ、朝食としていただいた。あとでT君に電話を掛け、「きのうの残りは食ったか」と尋ねると、「まだですよ」と速攻で返事があった。

ご支援ありがとうございます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。