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われわれは本当に孤独なのか?

わが国ではUFOや地球外知的生命体に関して強い関心を持つことは、知性と逆の意味につながることが多いようだが、欧米では異なるらしい。
良質なSFのかなりの部分にこの要素が含まれていることも、その証左と言えるだろう。

スタニスワフ・レムが指摘したように、人類と異なる生命体に遭遇した場合の人類の反応について描かれたストーリーにはいくつかの紋切り型がある。
われわれが勝利するか、敗北するか、それともともに相携えていくのか、というパターンだと言うのである。

しかしこの三択には前提条件がある。その時点まで、われわれが地球外知的生命体に出会ってはいない、ということだ。
その前提条件は、はたして真実なのであろうか。

大方の人の平均的な反応は、もし、われわれが今後自分たちよりも優れた知的生命体に遭遇した場合、征服されたりしたら困る、ということであろう。単に科学技術的に優っているだけでなく、宇宙倫理的にも優っているのだとしたら、地球を征服することなどないだろう、という楽観的な見方も成り立つと言えば成り立つ。

その考えを先に進めるには、地球の現状を考えてみることも必要だろう。
現在の地球と人類の文明が非常に多くの問題を抱えていることは、ほとんどの人の共通認識と思われる。
地球環境に対するダメージの与え方などは、一般に理解されている「歴史」の中で最悪とも思われる状況であるし、不兌換通貨中央銀行負債金融制度というシステムによって、巨大な貧富の分断を作り出している。
戦争や紛争は絶えず起こっており、貧困、病、格差などによって人類は理想的な繁栄とはほど遠い状況にある。

こうした状況はいったい誰が作り出したものなのか。

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1980年代の宇宙論では、地球のような条件を備えて生命の発生に適した天体は、宇宙のごくごく一部にしかない、という見方が支配的だった。

ところが、近年の天文学的発見では逆の結論が導き出されつつあるようだ。
どうやら宇宙には、地球型の生命が発生し得る条件を備えた惑星がけっこうたくさん存在しているらしい。

そういう中に、知的生命体を育んだ天体があっても不思議とは言えない。

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主流の考古学では扱っていない先史時代の遺物には、宇宙との関連が強く考えられるものがけっこう多くあるようだ。
だいたい、ピラミッドやマチュピチュやマヤ文明なども謎だらけである。

現在の技術をもってしても再現不可能な物体が数多く存在している以上、先史時代には、現在よりも進んだ文明があったと想定してもおかしくはない。
発達史観を捨てれば、現在はむしろ文明が停滞、もしくは後退している時代なのかもしれないのだから。

著しく歪んだ、問題の多い現在の地球文明は、もしかしたら、意図的に操作されてそうなったものなのかもしれない。
暴力的なまでの富の偏りや、一部の特権階級のために存在しているとしか思えない政治機構、繁栄を抑圧する社会システムなどは、自然にそうなったというよりも、最初からそうなるように設計されたものだという気がする。

だとしたら、誰がそれを設計したのか?

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この地球の社会システムが、征服者によって考えられたものだとしたら、いつまでたっても抑圧や搾取の対象となる側が存在するのは当然でもある。
加えて、それが止むを得ない結果であって、意図的に仕組まれたものでないことをシステムの参加者に信じさせることも必要である。
そういう巧妙さがあるのではないか。

個人的には、「今後、宇宙人に征服されたら困る」という恐れは、ある意味のんきに過ぎると思われる。
私には、現在のこの地球の体たらくが、「過去に宇宙人に制服された結果」であるように思えてならないのだ。

そう思っている人は少数派だろうと思う。
もし多数派だとしたら、人類はシステムを変えようと思うに決まっている。
そうなる日は、もしかしたらそれほど遠くないのかもしれない。
ある日、誰かが気づいたことが世界に広まってもおかしくないからだ。

過去に人類を支配していたと思われる存在に関する記述は、調べればネット上のあちこちに見つかるだろう。

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